2024/09/13 (FRI)
『熊倉平三郎自筆回顧録』の校正・編集作業を終えて
共生社会研究センターRA(リサーチ・アシスタント)
立教大学大学院社会学研究科博士課程後期課程 宮澤篤史
共生社会研究センターRAの宮澤篤史です。今回は、当センターが所蔵する『熊倉平三郎自筆回顧録』(「S17 熊倉平三郎氏旧蔵・黒井生活を守る会関連資料」所収、資料ID:S17_1007)の校正・編集作業上の非常に些細な苦労を交えながら、本資料のもつ手書きならではの魅力についてもお伝えしたいと思います。
立教大学大学院社会学研究科博士課程後期課程 宮澤篤史
共生社会研究センターRAの宮澤篤史です。今回は、当センターが所蔵する『熊倉平三郎自筆回顧録』(「S17 熊倉平三郎氏旧蔵・黒井生活を守る会関連資料」所収、資料ID:S17_1007)の校正・編集作業上の非常に些細な苦労を交えながら、本資料のもつ手書きならではの魅力についてもお伝えしたいと思います。
黒井火力反対運動と『熊倉平三郎自筆回顧録』
1967年の新潟県直江津市黒井地区(現在の上越市)にて、市民の合意のないまま火力発電所建設誘致が決定されたことを受け地域住民が「黒井生活を守る会」(以下、守る会)を結成し、反対運動を開始しました。市議会と電力会社を相手取って展開した黒井火力反対運動は、1972年に発電所誘致撤回というかたちで結実します。その中心にいたのが、守る会を結成し、会長として奮闘した熊倉平三郎氏であり、本記事でご紹介する『熊倉平三郎自筆回顧録』の著者になります。回顧録を含む「熊倉平三郎氏旧蔵・黒井生活を守る会関連資料」は熊倉氏のご家族により、当センターの前身である埼玉大学共生社会教育研究センターに2007年に寄贈されました。本回顧録を含む資料群全体の概要については、下記リンクより資料紹介コラムをご覧ください。
『熊倉平三郎自筆回顧録』は、反対運動が始まってから火力発電所誘致の撤回を勝ち取るまでの、守る会の中心的な活動期間の記録です。誘致撤回を勝ち取った勝利報告会での演説の最中、熊倉氏は壇上で突然倒れ、その後8年間病床に臥すことになるのですが、本回顧録はその長い闘病生活のあいだに、半身麻痺が残るなかで熊倉氏自身の手で書かれたものになります。全6章の構成で、分量は400字詰め原稿用紙300枚(A4のワードファイルで120ページほど)に及びます。もともと出版を企図して書かれたものだそうですが、当時の諸事情で公にされることはないまま時が過ぎ、共生社会研究センターに所蔵されることとなりました。
『熊倉平三郎自筆回顧録』は、反対運動が始まってから火力発電所誘致の撤回を勝ち取るまでの、守る会の中心的な活動期間の記録です。誘致撤回を勝ち取った勝利報告会での演説の最中、熊倉氏は壇上で突然倒れ、その後8年間病床に臥すことになるのですが、本回顧録はその長い闘病生活のあいだに、半身麻痺が残るなかで熊倉氏自身の手で書かれたものになります。全6章の構成で、分量は400字詰め原稿用紙300枚(A4のワードファイルで120ページほど)に及びます。もともと出版を企図して書かれたものだそうですが、当時の諸事情で公にされることはないまま時が過ぎ、共生社会研究センターに所蔵されることとなりました。
校正・編集作業の手順
本回顧録は熊倉氏の孫にあたる方によってワードファイルに転記され、そのデータが紙の回顧録とともに資料群の一部として寄贈されました。その転記ワードファイルをまず他のRAが一通りチェックし、誤字等の修正を行いました。その後、私が再度、紙の回顧録と照らし合わせながら文書全体の校正作業を実施、また、ファイルに起こされていなかった目次を転記し、回顧録全体のトランスクリプトを完成させました。そして、編集作業として、編集目次の作成と書式の調整を行いました。
校正・編集作業の難しさ
(1)文字の正確な転記と校正
熊倉氏の文章は、おおむね綺麗な楷書体で書かれています。しかし、そもそもの書き方の癖なのか、それとも病床に臥しながら書き進めたことが影響しているのか、ある範囲では走り書きのように字体が崩れていたり、またある範囲では太字のペンで書かれて文字が潰れてしまったりなど、時折、判読が困難な文字に遭遇しました。また、旧字体や固有名詞も多数登場します。熊倉氏の文字の癖や頻出する固有名詞に慣れてしまえば問題ないのですが、前後の文脈から類推ができない場合には、判読はお手上げとなってしまいます。そのため、どうにもできない場合には人の手(目)を借りながらなんとか作業を進めていきました。
(2)編集目次の作成
本回顧録の目次は、本文執筆後に作成されたのか、各章の冒頭に原稿用紙が追加されるかたちで配置されています。しかし、本文と目次で見出しの文言や節・項などの区分表記が一致しない/統一されていない箇所が多々あったため(文言がやや異なる程度から、そもそも目次の見出しが本文では立てられていないなどさまざま)、内容を損なわない範囲で読みやすくなるように修正を加えた編集目次を作成し、本文冒頭にまとめて配置しました(原目次は添付資料として回顧録末尾に追加)。
以上2点は、資料を一言一句忠実に転記することと、読みやすさとのあいだでどう折り合いをつけるかということに関わっています。旧字体を新字体に改めるのか、明らかな誤字や本文と対応しない目次の見出しをどう扱うか、二重線で修正されている部分をどう反映させるかなど、一貫した細かな修正方針を立てる必要があり、それに従って作業を進めることにかなり苦心しました。
熊倉氏の文章は、おおむね綺麗な楷書体で書かれています。しかし、そもそもの書き方の癖なのか、それとも病床に臥しながら書き進めたことが影響しているのか、ある範囲では走り書きのように字体が崩れていたり、またある範囲では太字のペンで書かれて文字が潰れてしまったりなど、時折、判読が困難な文字に遭遇しました。また、旧字体や固有名詞も多数登場します。熊倉氏の文字の癖や頻出する固有名詞に慣れてしまえば問題ないのですが、前後の文脈から類推ができない場合には、判読はお手上げとなってしまいます。そのため、どうにもできない場合には人の手(目)を借りながらなんとか作業を進めていきました。
(2)編集目次の作成
本回顧録の目次は、本文執筆後に作成されたのか、各章の冒頭に原稿用紙が追加されるかたちで配置されています。しかし、本文と目次で見出しの文言や節・項などの区分表記が一致しない/統一されていない箇所が多々あったため(文言がやや異なる程度から、そもそも目次の見出しが本文では立てられていないなどさまざま)、内容を損なわない範囲で読みやすくなるように修正を加えた編集目次を作成し、本文冒頭にまとめて配置しました(原目次は添付資料として回顧録末尾に追加)。
以上2点は、資料を一言一句忠実に転記することと、読みやすさとのあいだでどう折り合いをつけるかということに関わっています。旧字体を新字体に改めるのか、明らかな誤字や本文と対応しない目次の見出しをどう扱うか、二重線で修正されている部分をどう反映させるかなど、一貫した細かな修正方針を立てる必要があり、それに従って作業を進めることにかなり苦心しました。
手書き資料ゆえに伝わること
▲回顧録冒頭で、黒井の自然が失われていくことに対する嘆きが綴られる
本回顧録は、非常に厚みのある記述によって活動の経過が綴られています。特に熊倉氏の力強い筆致と文章の書きっぷりからは、権力によって強引に火力発電所建設を進めようとする政治への強い怒り、黒井の生活・自然が破壊されることへ懸念などがひしひしと伝わり、読んでいるとその熱量に圧倒されます。また、途中で何度も文字の太さや色が変わっていることから、熊倉氏が原稿用紙300枚、文字数にして10万字超えの文書を、何度もペンを交換しながら書き進めたことが推察できます。他にも、原稿用紙の余白に挿入された文や二重線による訂正がいくつも散見され、追記・訂正を適宜行っていたことも窺えます。
しかし、電子ファイル上は文字の太さ・色・フォントは当然ですが統一され、原文の訂正箇所は修正後の文言のみを反映しています。したがって、以上に挙げたような原資料に当たらなければ感じられない当事者の感情や資料の雰囲気は、残念ながら転記ファイルでは削ぎ落されてしまいます。
しかし、電子ファイル上は文字の太さ・色・フォントは当然ですが統一され、原文の訂正箇所は修正後の文言のみを反映しています。したがって、以上に挙げたような原資料に当たらなければ感じられない当事者の感情や資料の雰囲気は、残念ながら転記ファイルでは削ぎ落されてしまいます。
今回の転記作業で作成した文書は電子入力のため、読みやすさの点では手書きの原文よりも優れるかもしれません。しかしながら、同じ内容だとしても手書きだからこそ感じ取られる当事者の感情や資料の雰囲気があり、ゆえに、資料が伝えてくれるものは手書き資料の方が多いのではないかと、今回の校正・編集作業を通じて改めて感じられました。
以上、『熊倉平三郎自筆回顧録』の校正・編集作業についてお伝えしました。
少しでも興味・関心を持たれた方は、ぜひ共生社会研究センターまでご連絡ください。
以上、『熊倉平三郎自筆回顧録』の校正・編集作業についてお伝えしました。
少しでも興味・関心を持たれた方は、ぜひ共生社会研究センターまでご連絡ください。
参考資料
熊倉平三郎・仲井富,1981,「連載=わが戦後史と住民運動 直江津火力反対運動黒井生活を守る会の熊倉平三郎さん」『月刊総評』(283): 93-103.
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