新境地に挑み続ける「しゃべり手人生」その原点は立教に——
フリーアナウンサー 古舘 伊知郎さん
2019/12/18
立教卒業生のWork & Life
OVERVIEW
独特の語彙センスが光る、ボルテージの高い「古舘節」。淀みなく繰り出される、魂をぶつけるような渾身のしゃべり。古舘伊知郎さんは、スポーツ実況、バラエティーの司会、報道番組のキャスターと活躍の場を広げながら、時代を代表するしゃべり手としてテレビ界を席巻し続けている。
多忙な日々の合間に旅行へ出掛けた
しゃべる仕事に就きたい——そんな淡い思いが芽生えたのは中学生の頃だった。
「家族全員話し好きで、自分だけ『大人しい』と言われて育ち、それがコンプレックスでした。でもラジオの深夜放送で軽妙洒脱に語るパーソナリティーに憧れ、生来の血が騒ぎ始めたんです」
とりわけ夢中だった文化放送の「セイ!ヤング」を担当していたのが、立教出身のみのもんたさん(67年経済学部卒業)。同じ道を歩みたい一心で、高校から立教へ進んだ。とはいえ「相変わらずしゃべりには自信がなく、鬱々としていた」というが、立教高校での出来事をきっかけに、かすかな願望は確固たる目標に変わる。
「昼休みにチャペルの中庭でプロレス大会を開くのが恒例になっていて、僕は実況担当。あることないことしゃべっていたら、他学年の生徒まで大勢詰めかけるようになって、『お前すごいな、アナウンサーになれよ』と友人たちが言ったんです」
夢への背中を押されたことも含め、「立教高校で過ごした時間と家族のような人間関係は、自分の核をつくっている」と振り返る。その後、立教大学経済学部へ進学。学業の傍らアナウンススクールへ通い、念願かなってアナウンサーとしてテレビ朝日に入社した。
「徳光和夫さん(63年社会学部卒業)やみのさんといった立教出身の大先輩の存在も大きかった。『思うは招く』とはよく言ったもので、先輩方の背中に憧れ、思い続けると現実が後追いしてくれると知りました」
「家族全員話し好きで、自分だけ『大人しい』と言われて育ち、それがコンプレックスでした。でもラジオの深夜放送で軽妙洒脱に語るパーソナリティーに憧れ、生来の血が騒ぎ始めたんです」
とりわけ夢中だった文化放送の「セイ!ヤング」を担当していたのが、立教出身のみのもんたさん(67年経済学部卒業)。同じ道を歩みたい一心で、高校から立教へ進んだ。とはいえ「相変わらずしゃべりには自信がなく、鬱々としていた」というが、立教高校での出来事をきっかけに、かすかな願望は確固たる目標に変わる。
「昼休みにチャペルの中庭でプロレス大会を開くのが恒例になっていて、僕は実況担当。あることないことしゃべっていたら、他学年の生徒まで大勢詰めかけるようになって、『お前すごいな、アナウンサーになれよ』と友人たちが言ったんです」
夢への背中を押されたことも含め、「立教高校で過ごした時間と家族のような人間関係は、自分の核をつくっている」と振り返る。その後、立教大学経済学部へ進学。学業の傍らアナウンススクールへ通い、念願かなってアナウンサーとしてテレビ朝日に入社した。
「徳光和夫さん(63年社会学部卒業)やみのさんといった立教出身の大先輩の存在も大きかった。『思うは招く』とはよく言ったもので、先輩方の背中に憧れ、思い続けると現実が後追いしてくれると知りました」
熱を届けるしゃべりから未経験の報道の世界へ
「古舘節」が誕生したプロレス実況
テレビ局入社後は、ワールドプロレスリングやF1などのスポーツ実況で「古舘節」を炸裂させ、一躍人気アナウンサーに。84年にはフリーに転身し、後にライフワークとなるマイク1本で語るトークライブ「トーキングブルース」を開始。フジテレビ『夜のヒットスタジオDELUXE』やTBS『筋肉番付』など数々のヒット番組に携わり、民放出身アナウンサー初となる『NHK紅白歌合戦』司会も務めた。
唯一無二の存在感を発揮して順調にキャリアを重ねていたさなか、古舘さんは一転、未経験のジャンルに飛び込むことを決意する。2004年、テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターに就任。これが、「しゃべり手人生の転機となった」。
「報道番組では、僕の意見や何気ない一言で傷つく人がいるかもしれないので、言葉をより慎重に選び、限られた時間内でコンパクトに伝えないといけない。『面白おかしくしゃべる』という最大の個性、武器が通用しないわけです。それはとても勉強になったし、『顔に言葉を乗せる』ことも覚えました。表情には時として、言語以上に豊かな言葉が宿るんですよ」
16年にキャスターを辞したのは、「自分のわがまま」だと古舘さんは話す。自分ならではの話術で、多くの人を楽しませたい。その思いが高まり、12年ぶりにバラエティーの世界に舞い戻った。しかし、そこで直面したのは以前とは異なる現場の姿だったという。
「今の番組はどれもハイテンポで、短い時間でいかに気の利いたことが言えるかが勝負。僕の湯水のような長いしゃべりは、時代と噛み合っていないと痛切に感じました」
唯一無二の存在感を発揮して順調にキャリアを重ねていたさなか、古舘さんは一転、未経験のジャンルに飛び込むことを決意する。2004年、テレビ朝日『報道ステーション』のメインキャスターに就任。これが、「しゃべり手人生の転機となった」。
「報道番組では、僕の意見や何気ない一言で傷つく人がいるかもしれないので、言葉をより慎重に選び、限られた時間内でコンパクトに伝えないといけない。『面白おかしくしゃべる』という最大の個性、武器が通用しないわけです。それはとても勉強になったし、『顔に言葉を乗せる』ことも覚えました。表情には時として、言語以上に豊かな言葉が宿るんですよ」
16年にキャスターを辞したのは、「自分のわがまま」だと古舘さんは話す。自分ならではの話術で、多くの人を楽しませたい。その思いが高まり、12年ぶりにバラエティーの世界に舞い戻った。しかし、そこで直面したのは以前とは異なる現場の姿だったという。
「今の番組はどれもハイテンポで、短い時間でいかに気の利いたことが言えるかが勝負。僕の湯水のような長いしゃべりは、時代と噛み合っていないと痛切に感じました」
「成長したいなら必殺技を捨てろ」積み上げたものを手放したとき、道は開ける
その反省から、「一点突破の凝縮したしゃべり」を模索している最中だという。
「いい歳してと言われようが、テレビの世界でしゃべり手として以前とは違う花を咲かせたいと思っています」
古舘さんの座右の銘は「成長したいなら必殺技を捨てろ」。新境地に挑み続けた40余年はまさにそれを体現してきた日々であり、自分との闘いは続いている。
「いい歳してと言われようが、テレビの世界でしゃべり手として以前とは違う花を咲かせたいと思っています」
古舘さんの座右の銘は「成長したいなら必殺技を捨てろ」。新境地に挑み続けた40余年はまさにそれを体現してきた日々であり、自分との闘いは続いている。
母校の教壇に立ち見えたのは新しい景色
古舘さんの新たな挑戦がもう一つある。19年4月、立教大学経済学部の客員教授に就任。全学共通科目「現代社会における言葉の持つ意味」を春学期に担当した。
「まさか母校で授業を担当する日が来るなんて考えてもいませんでした。大学の頃は学生運動がまだ盛んな時代だったので、勉強したとは言いがたい。『再入学』して、学生と共に学んで『卒業』し直すときが来たのかなと」
定員約300人のところ、履修希望者は1000人を超えた。教員として教壇に立つのは初めての経験で、学期末には自ら試験監督も務めた。
「トークライブとはまた違う『授業脳』でしゃべるのは新鮮でした。試行錯誤しましたが、あっ今伝わったな、と波動を感じたときは本当にうれしかった」
さらに、学生の印象については「良くも悪くも真面目」と続ける。
「よく分かんない、と肘をついている学生もいるかなと思っていたのですが、皆一心にメモをとって集中している。半面、こちらがたじろぐような議論を挑んでくるような学生もいなくて、ちょっと堅苦しいな、大人しいなと感じたり。授業の反応も含めて予想外のことばかりで、僕の方が教えられました」
最後に学生へのエールをお願いすると、古舘さんは「授業でも触れたのですが」と前置きし、こう語ってくれた。
「『人を動かすのは人』という考え方を大切にしてほしい。職種や安定性、知名度で仕事を選びがちですが、『人』に憧れてその道を志すことも大事だと思います。僕自身も、徳光さんやみのさんに憧れて今がある。手本になる人がいれば、自ずと実現する可能性も上がるでしょう。激動する時代の波の中で、就職活動に汲々としている学生も多いと思いますが、素朴な、人間らしい原点に立ち返ってほしいですね」
「まさか母校で授業を担当する日が来るなんて考えてもいませんでした。大学の頃は学生運動がまだ盛んな時代だったので、勉強したとは言いがたい。『再入学』して、学生と共に学んで『卒業』し直すときが来たのかなと」
定員約300人のところ、履修希望者は1000人を超えた。教員として教壇に立つのは初めての経験で、学期末には自ら試験監督も務めた。
「トークライブとはまた違う『授業脳』でしゃべるのは新鮮でした。試行錯誤しましたが、あっ今伝わったな、と波動を感じたときは本当にうれしかった」
さらに、学生の印象については「良くも悪くも真面目」と続ける。
「よく分かんない、と肘をついている学生もいるかなと思っていたのですが、皆一心にメモをとって集中している。半面、こちらがたじろぐような議論を挑んでくるような学生もいなくて、ちょっと堅苦しいな、大人しいなと感じたり。授業の反応も含めて予想外のことばかりで、僕の方が教えられました」
最後に学生へのエールをお願いすると、古舘さんは「授業でも触れたのですが」と前置きし、こう語ってくれた。
「『人を動かすのは人』という考え方を大切にしてほしい。職種や安定性、知名度で仕事を選びがちですが、『人』に憧れてその道を志すことも大事だと思います。僕自身も、徳光さんやみのさんに憧れて今がある。手本になる人がいれば、自ずと実現する可能性も上がるでしょう。激動する時代の波の中で、就職活動に汲々としている学生も多いと思いますが、素朴な、人間らしい原点に立ち返ってほしいですね」
『言葉は凝縮するほど、強くなる—短く話せる人になる!凝縮ワード—』
著者:古舘伊知郎
ワニブックス/2019年8月
1,400円(税別)
端的に面白く話せる人になる、「凝縮ワード」を使った会話術をまとめた一冊。自身の経験から編み出した、日常にもビジネスにも使える必殺フレーズを紹介。
ワニブックス/2019年8月
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端的に面白く話せる人になる、「凝縮ワード」を使った会話術をまとめた一冊。自身の経験から編み出した、日常にもビジネスにも使える必殺フレーズを紹介。
※本記事は 季刊「立教」250号(2019年11月発行) をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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株式会社RAISE WORLD代表取締役 白川 直史さん
プロフィール
PROFILE
古舘 伊知郎
1977年、立教大学経済学部経済学科卒業
1977年4月、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。
「古舘節」と形容されたプロレス実況は絶大な人気を誇り、フリーとなった後、F1などでもムーブメントを巻き起こし「実況=古舘」のイメージを確立する。一方、3年連続で『NHK紅白歌合戦』の司会を務めるなど、司会者としても異彩を放ち、NHK+民放全局でレギュラー番組の看板を担った。その後、テレビ朝日『報道ステーション』で12年間キャスターを務め、現在、再び自由なしゃべり手となる。
2019年4月、立教大学経済学部客員教授に就任。