ESD研究所Research Center for Education for Sustainable Development
ESDとは、持続可能な開発を通じて全ての人々が安心して暮らせる社会を実現するために必要な力や考え方を人々が学び育むことです。立教大学ESD研究所は、「環境教育」と「開発教育」を切り口として、人文・社会・自然科学的視点からこれらの課題にアプローチし、国内外におけるネットワークをさらに強化し、この分野の「ハブ」機能を果たすことを目指します。なお、当研究所の前身であるESD研究センター(2007~2011年度)の活動については、旧ホームページをご参照ください。
概要
本研究所の前身にあたる立教大学ESD研究センターは、我が国初のESD(Education for Sustainable Development)研究機関として2007年に設立されました。以来、さまざまな実践研究、教材開発などを通して、国内およびアジア太平洋地域におけるESDの普及に努め、国内外におけるハブとしての役割を担ってきました。2012年3月で、文部科学省オープン・リサーチ・センター整備事業による活動に一区切りつけ、同年4月以降は「ESD研究所」と名称を変え、パーマネントの大学附置研究所として活動を継続し、多くの成果を上げてきました。
特に、2015年度から2019年度にかけては、日本におけるESDの第一人者である阿部治所長(当時)のもとで採択された、文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「ESDによる地域創生の評価とESD地域創生拠点の形成に関する研究」(研究代表者・阿部治)を通じて、飯田市(長野県)・羅臼町(北海道)・西伊豆町(静岡県)・対馬市(長崎県)を主要なフィールドとして、実践的な調査・研究を展開してきました。その概要は本学の学術リポジトリで公開されています(本ホームページ「刊行物」参照)。
その後、ESD研究所は、檜枝岐村(福島県)・松崎町(静岡県)とも覚書を交わし、2022年度には、上田信所長(当時)のもと、公開イベント「ESD×SDGs自治体会議」を実施しました(本ホームページ「これまでのイベント・講演会」参照)。この公開イベントでは、「環境」と「観光」という視点から地域創生のヒントを探ると同時に、上述した6つの連携自治体から地域創生への取り組みを紹介していただき、その成果と課題を検討いたしました。
このようにESD研究所は、地域とのつながりを大切にしつつ、ESDを通じた「人づくり」・「地域づくり」の実践と研究を重ねてまいりました。今後もこの方針を大切に維持しながら、より一層の連携の拡大・深化を図っていく所存です。
また、人類共通の課題にまなざしを向け、社会システムのあり方を検討・構想する力のある人材育成にも従来以上に取り組んでいきたいと考えています。気候変動問題の深刻化、貧富の格差の拡大、ロシアによるウクライナ侵攻など、社会の持続可能性(sustainability)を脅かす問題は、解消するどころか、増大しているように見えます。こうした現実に向き合い、生きる条件のきびしい他者存在に思いを馳せつつ、持続可能な社会を構築する力を育むESDの重要性は、一層高まっています。
ESD研究所は、これからも多くの方々と協働しながら、ESDの実践と研究に取り組んでまいります。今後とも、ご支援、ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
2023年
立教大学ESD研究所長 河村賢治
特に、2015年度から2019年度にかけては、日本におけるESDの第一人者である阿部治所長(当時)のもとで採択された、文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「ESDによる地域創生の評価とESD地域創生拠点の形成に関する研究」(研究代表者・阿部治)を通じて、飯田市(長野県)・羅臼町(北海道)・西伊豆町(静岡県)・対馬市(長崎県)を主要なフィールドとして、実践的な調査・研究を展開してきました。その概要は本学の学術リポジトリで公開されています(本ホームページ「刊行物」参照)。
その後、ESD研究所は、檜枝岐村(福島県)・松崎町(静岡県)とも覚書を交わし、2022年度には、上田信所長(当時)のもと、公開イベント「ESD×SDGs自治体会議」を実施しました(本ホームページ「これまでのイベント・講演会」参照)。この公開イベントでは、「環境」と「観光」という視点から地域創生のヒントを探ると同時に、上述した6つの連携自治体から地域創生への取り組みを紹介していただき、その成果と課題を検討いたしました。
このようにESD研究所は、地域とのつながりを大切にしつつ、ESDを通じた「人づくり」・「地域づくり」の実践と研究を重ねてまいりました。今後もこの方針を大切に維持しながら、より一層の連携の拡大・深化を図っていく所存です。
また、人類共通の課題にまなざしを向け、社会システムのあり方を検討・構想する力のある人材育成にも従来以上に取り組んでいきたいと考えています。気候変動問題の深刻化、貧富の格差の拡大、ロシアによるウクライナ侵攻など、社会の持続可能性(sustainability)を脅かす問題は、解消するどころか、増大しているように見えます。こうした現実に向き合い、生きる条件のきびしい他者存在に思いを馳せつつ、持続可能な社会を構築する力を育むESDの重要性は、一層高まっています。
ESD研究所は、これからも多くの方々と協働しながら、ESDの実践と研究に取り組んでまいります。今後とも、ご支援、ご協力を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
2023年
立教大学ESD研究所長 河村賢治
ESD研究所とは
ESD研究所は、ESD教育システムの具体的研究と教育企画および教育者の人材養成システムを研究開発するとともに、国内外のネットワークや産公学連携を強化しながらESDの実践研究を行い、ESDを実質的に機能させる「人づくり」および「地域づくり」の創出を達成して、社会の発展に寄与することを目的としています。
ESD研究所の取り組み
- ESDに関する調査および研究(学外機関・団体からの受託研究、共同研究、受託事業、共同事業、研究者の受け入れ等を含む)
- ESD教育プログラムおよびESD指導者養成プログラムの開発・実践
- 国内外のESD活動における企業等民間団体、行政・自治体、研究機関、市民、NGO/NPO等市民団体との相互連携と人材交流の推進
- 研究成果の公開、普及および出版
ESDとは
ESDとは「Education for Sustainable Development(持続可能な開発のための教育)」の略称で、言い換えれば「持続可能な未来や持続可能な社会を創造する力を育む地球市民のための教育と学習」を意味します。2002年、ヨハネスブルグで開催された「持続可能な開発に関する世界首脳会議(WSSD)」での日本政府とNGOの共同提案を契機に、国連総会の採択を受けて「国連ESDの10年」(2005~2014年)が始まりました。現在は、2014年に日本で開催される最終年の統括会合を、オールジャパンで迎えるために、各機関が尽力しています。
1.ESDの理論と実践に関する研究
持続可能な社会の構築という課題に応える教育につて、国内外の研究動向を把握・分析するとともに、実践に基づいて研究を深化させる。
2.地域におけるESDの導入
国内の地域におけるESDの事例調査を行うとともに、各地の住民や教育機関、地方自治体などの諸組織と協力して、ESDを実践する。
3.生物多様性におけるESD
ESDを通じた生物多様性教育について、国内外の事例調査を行う。
4.HESD研究ならびに学内におけるESDの推進
国内外のHESDの取り組みの現状を調査するとともに、ESD授業を実施し、今後の大学におけるESD推進の在り方を探る。
5.SDGsの推進に向けた活動
SDGsに関する啓蒙活動を推進するとともに、学内外の関係者と協働してSDGsのゴールに向けて実践を積み重ねていく。
6.その他
社会のサステナビリティの向上に関する活動を展開する。
持続可能な社会の構築という課題に応える教育につて、国内外の研究動向を把握・分析するとともに、実践に基づいて研究を深化させる。
2.地域におけるESDの導入
国内の地域におけるESDの事例調査を行うとともに、各地の住民や教育機関、地方自治体などの諸組織と協力して、ESDを実践する。
3.生物多様性におけるESD
ESDを通じた生物多様性教育について、国内外の事例調査を行う。
4.HESD研究ならびに学内におけるESDの推進
国内外のHESDの取り組みの現状を調査するとともに、ESD授業を実施し、今後の大学におけるESD推進の在り方を探る。
5.SDGsの推進に向けた活動
SDGsに関する啓蒙活動を推進するとともに、学内外の関係者と協働してSDGsのゴールに向けて実践を積み重ねていく。
6.その他
社会のサステナビリティの向上に関する活動を展開する。
◆所長
河村 賢治 法学部・同研究科教授
◆副所長
上田 信 文学部特別専任教授
◆運営委員(50音順/以下同)
阿部 治 名誉教授
石井 正子 異文化コミュニケーション学部教授
奇二 正彦 スポーツウエルネス学部准教授
空閑 厚樹 コミュニティ福祉学部・同研究科教授
河野 哲也 文学部教授
庄司 貴行 観光学部教授
関 礼子 社会学部教授
野田 研一 名誉教授
橋本 俊哉 観光学部・同研究科教授
和田 悠 文学部教授
◆所員
跡部 千慧 東京都立大学人文社会学部人間社会学科助教
上田 恵介 名誉教授
大倉 季久 社会学部教授
加藤 睦 名誉教授
日下部 尚徳 異文化コミュニケーション学部准教授
佐藤 一彦 学外所員
首藤 若菜 経済学部教授
鈴木 弥生 コミュニティ福祉学部教授
DEWIT, Andrew 経済学部教授
DONOVAN, Herbert 経営学部専任講師
遠山 恭司 経済学部教授
萩原 なつ子 名誉教授
渡辺 憲司 名誉教授
◆研究員等
浅岡 みどり 研究員
元 鍾彬 研究員
江川 あゆみ 研究員
小玉 敏也 客員研究員
小松 恵 研究員
佐藤 壮広 研究員
佐藤 太 研究員
関 いずみ 客員研究員
高橋 正弘 研究員
田口 空一郎 研究員
辻 英之 研究員
中口 毅博 客員研究員
野田 恵 特任研究員
萩原 豪 研究員
廣本 由香 研究員
前田 剛 客員研究員
増田 直広 客員研究員
村上 千里 研究員
森田 系太郎 研究員
山田 悠介 研究員
結城 正美 研究員
河村 賢治 法学部・同研究科教授
◆副所長
上田 信 文学部特別専任教授
◆運営委員(50音順/以下同)
阿部 治 名誉教授
石井 正子 異文化コミュニケーション学部教授
奇二 正彦 スポーツウエルネス学部准教授
空閑 厚樹 コミュニティ福祉学部・同研究科教授
河野 哲也 文学部教授
庄司 貴行 観光学部教授
関 礼子 社会学部教授
野田 研一 名誉教授
橋本 俊哉 観光学部・同研究科教授
和田 悠 文学部教授
◆所員
跡部 千慧 東京都立大学人文社会学部人間社会学科助教
上田 恵介 名誉教授
大倉 季久 社会学部教授
加藤 睦 名誉教授
日下部 尚徳 異文化コミュニケーション学部准教授
佐藤 一彦 学外所員
首藤 若菜 経済学部教授
鈴木 弥生 コミュニティ福祉学部教授
DEWIT, Andrew 経済学部教授
DONOVAN, Herbert 経営学部専任講師
遠山 恭司 経済学部教授
萩原 なつ子 名誉教授
渡辺 憲司 名誉教授
◆研究員等
浅岡 みどり 研究員
元 鍾彬 研究員
江川 あゆみ 研究員
小玉 敏也 客員研究員
小松 恵 研究員
佐藤 壮広 研究員
佐藤 太 研究員
関 いずみ 客員研究員
高橋 正弘 研究員
田口 空一郎 研究員
辻 英之 研究員
中口 毅博 客員研究員
野田 恵 特任研究員
萩原 豪 研究員
廣本 由香 研究員
前田 剛 客員研究員
増田 直広 客員研究員
村上 千里 研究員
森田 系太郎 研究員
山田 悠介 研究員
結城 正美 研究員
文部科学省私立大学戦略的研究基盤形成支援事業「ESDによる地域創生の評価とESD地域創生拠点の形成に関する研究」(研究代表者・阿部治 平成27~31年度)による成果をまとめました。こちらのリンクからご覧いただけます。
イベント・講演会(開催情報)
ESD研究所は地域創生拠点事業を進めるなかで、これまで羅臼町(北海道)・檜枝岐村(福島県)・西伊豆町(静岡県)・松崎町(静岡県)・飯田市(長野県)・対馬市(長崎県)と覚書を交わし、連携を深めてきた。交流する中で、各自治体が共通する課題に取り組んでいることが明らかとなった。
今回の「自治体会議」では、各自治体の関係者に参加を呼びかけ、これまでの経験をファシリテーターのもとで紹介しあい、地域創生への取り組みを相互に学び、さらに今後の展望を拓く。討議に関心を持つ地域住民、学生・院生、NPO関係者などにひろく参加を呼びかける。
日時:
2024年11月15日(金)~16日(土)13:30~18:00
開催方法:
オンライン開催
講師:
河村 賢治(立教大学ESD研究所所長、法学部教授)
関 礼子(立教大学社会学部教授)
奇二 正彦(立教大学スポーツウエルネス学部准教授)
空閑 厚樹(立教大学コミュニティ福祉学部教授)
上田 信(立教大学ESD研究所副所長、文学部史学科世界史学専修特別専任教授)
スケジュール:
15日(金)
13:30~14:50 河村賢治 「海のESD」
15:00~16:20 関礼子 「観光と災害リスク」
16:30~18:00 奇二正彦 「ネイチャーポジティブと観光」
16日(土)
13:30~14:50 空閑厚樹 「エネルギーの地域自給」
15:00~16:20 上田信 「地元学の成果と課題」
16:30~18:00 総合討論
主催:
立教大学ESD研究所
対象:
学生、教職員、校友、一般
申込方法:
下記のリンクからお申込みください。
定員:
100名
問合せ先:
立教大学ESD研究所
[email protected]
今回の「自治体会議」では、各自治体の関係者に参加を呼びかけ、これまでの経験をファシリテーターのもとで紹介しあい、地域創生への取り組みを相互に学び、さらに今後の展望を拓く。討議に関心を持つ地域住民、学生・院生、NPO関係者などにひろく参加を呼びかける。
日時:
2024年11月15日(金)~16日(土)13:30~18:00
開催方法:
オンライン開催
講師:
河村 賢治(立教大学ESD研究所所長、法学部教授)
関 礼子(立教大学社会学部教授)
奇二 正彦(立教大学スポーツウエルネス学部准教授)
空閑 厚樹(立教大学コミュニティ福祉学部教授)
上田 信(立教大学ESD研究所副所長、文学部史学科世界史学専修特別専任教授)
スケジュール:
15日(金)
13:30~14:50 河村賢治 「海のESD」
15:00~16:20 関礼子 「観光と災害リスク」
16:30~18:00 奇二正彦 「ネイチャーポジティブと観光」
16日(土)
13:30~14:50 空閑厚樹 「エネルギーの地域自給」
15:00~16:20 上田信 「地元学の成果と課題」
16:30~18:00 総合討論
主催:
立教大学ESD研究所
対象:
学生、教職員、校友、一般
申込方法:
下記のリンクからお申込みください。
定員:
100名
問合せ先:
立教大学ESD研究所
[email protected]
研究所からのお知らせ
刊行物
ISSN 2187-9877 (print version)
ISSN 2188-0158 (online version)
ISSN 2188-0158 (online version)
第3回全国ESD・SDGs自治体会議—コロナ危機を持続可能な地域創生に向けたチャンスに変える— 報告書(2021年度)(2021年3月)
東京芸術劇場×立教大学 連携講座「池袋学」講義録 2017年度
福島の今と向きあう。立教SFR重点領域プロジェクト研究 講演録(2013年3月)
書評等
本年3月30日、芥川賞作家加藤幸子氏が逝去されました。87歳でした。
作家としての加藤氏は、芥川賞受賞作『夢の壁』(1983年)を初めとする数多くの小説作品のほか、『私の自然ウォッチング』(1991)、『ナチュラリストの生きもの紀行』(2001)などのネイチャーライティング系の重要な作品を書くナチュラリストでもありました。
とくに日本の作家ではあまり類例を見ない、「脱人間中心主義」を標榜した自然記述に最大の特徴があります。その思想的結晶とも言うべき小説『ジーンとともに』(1999)は、擬人化ならぬ「擬鳥化」小説という凝りに凝った文体を実現し、人間の立場からではなく、〝自然の立場からいかに書くか″という困難な課題に力を注いだ傑作です。
同時に、忘れてはならないのは、東京都大田区にある「東京港野鳥公園」の設立にリーダーとして深く関わられたことです。その経緯については、『鳥よ、人よ、甦れ 東京港野鳥公園の誕生、そして現在』(2004)をお読み下さい。立教大学でも長年にわたりゲストスピーカーとして講義や実作講座をご担当いただきました。学生たちと東京港野鳥公園を歩き、語らって下さいました。ここに掲載する論考は、加藤氏の講座にも参加し、加藤作品を丁寧に読み、深い洞察を言葉にし続けている韓国の若手研究者による書き下ろしです。
自然について考え続けること、とくに〝感受性のレベルをけっして手放さないこと″をあたかも天賦の才のように身にまとった作家です。
(野田研一 立教大学名誉教授)
作家としての加藤氏は、芥川賞受賞作『夢の壁』(1983年)を初めとする数多くの小説作品のほか、『私の自然ウォッチング』(1991)、『ナチュラリストの生きもの紀行』(2001)などのネイチャーライティング系の重要な作品を書くナチュラリストでもありました。
とくに日本の作家ではあまり類例を見ない、「脱人間中心主義」を標榜した自然記述に最大の特徴があります。その思想的結晶とも言うべき小説『ジーンとともに』(1999)は、擬人化ならぬ「擬鳥化」小説という凝りに凝った文体を実現し、人間の立場からではなく、〝自然の立場からいかに書くか″という困難な課題に力を注いだ傑作です。
同時に、忘れてはならないのは、東京都大田区にある「東京港野鳥公園」の設立にリーダーとして深く関わられたことです。その経緯については、『鳥よ、人よ、甦れ 東京港野鳥公園の誕生、そして現在』(2004)をお読み下さい。立教大学でも長年にわたりゲストスピーカーとして講義や実作講座をご担当いただきました。学生たちと東京港野鳥公園を歩き、語らって下さいました。ここに掲載する論考は、加藤氏の講座にも参加し、加藤作品を丁寧に読み、深い洞察を言葉にし続けている韓国の若手研究者による書き下ろしです。
自然について考え続けること、とくに〝感受性のレベルをけっして手放さないこと″をあたかも天賦の才のように身にまとった作家です。
(野田研一 立教大学名誉教授)
評:佐藤壮広(立教大学EDS研究所研究員、山梨学院大学特任准教授)
【石牟礼道子との邂逅を綴る】
本書は、2018年に開催された立教大学ESD研究所主催のシンポジウム「石牟礼道子を読み直す−日本古典文学との「対話」」で交わされた議論の成果を土台とし、多様な論者による石牟礼道子との邂逅をひとつに編んだ作品である。現代日本文学史において、石牟礼は詩人・作家として位置づけられることが多い。しかし、本書で各論者たちが言及する石牟礼の作品群は、小説、詩歌、能や狂言など広い範囲のものである。そこで編著者をはじめ各論者たちは、「石牟礼道子は何者なのか」とあらためて問い、諸作品を読み解いている。当然のことながら、本書を読むわれわれにも、石牟礼道子は各論者にとって何者なのかという視角が求められる。本書を読む大きな意義は、ここにある。
本書は三部で構成されている。上で述べた視角を念頭において、各論の内容について概観しておこう。第一部「文字と声のあいだ」では、民俗、文学、映像・演劇という観点から石牟礼とは何者なのかが語られている。赤坂憲雄は『苦界浄土』を俎上にのせ、民俗学の語りと文芸の語りとを対照させて、石牟礼の創作活動を論じている。赤坂は、共同体の外から訪れる旅芸人による「浄瑠璃語り」の徒として、石牟礼を評している。怪談や民話ではなく、死者や病者らを含む共同体の成員の苦を浄化する「浄瑠璃」の作者が石牟礼道子であるという赤坂による考察は、『苦海浄土』の内容及びその作家論を含んだ示唆に富んだものである。続いて古典文学研究の小峯和明も、赤坂がとったアプローチに近い形で石牟礼とは何者であるかを問うている。小峯は、「異界の語り部」として石牟礼を定位する。そして彼女が作品の中の言葉によって表出させる「異界」の原郷あるいはリソースとして、『今昔物語集』や『梁塵秘抄』などの古典があると指摘する。また小峯は「今日の文学研究の隘路の一つに古典と近代の分断がある」と述べ、石牟礼作品にはその隘路を押し広げて古典と近代との行き来を促す言葉群が埋め込まれていると論じている。
続いて野田研一は、環境文学の観点から『苦海浄土』における風景(らしきもの)の描写をとりあげ、それらは水俣の漁民たちの暮らしの「祖型」であり、<風物誌>、<原風景>、<現像>という概念で捉えられるものだと論じている。また野田は、水俣弁を織り込んで叙述される『苦海浄土』に、<声の文化>と<文字の文化>との屹立関係を読みとっている。そして『苦海浄土』を、「モダニズムの文学にして、非近代/脱近代の物語なのである」と評している。文字化される以前の(そこにある原初の)出来事と文字化されたテクストとの間の相剋や往還についての考察は、文学批評の定番の一つである。野田は、石牟礼による風景叙述の“揺れ”を手がかりとして、声と文字との間に作品世界を置き直そうと試みる。ここからは、石牟礼文学の批評にとどまらない思索の沃野が開けてくる。
第一部の終わりは、テレビドキュメンタリー『苦海浄土』とその台本「詩篇 苦海浄土」との関係を、「表現の方法の問題」という観点から分析した後藤隆基の論考で締められている。台本「詩篇 苦海浄土」には、「非人御前(かんじんごぜ)」という遊行の徒が登場する。その御前は他ならぬ石牟礼自身であるという解釈もある。ドキュメンタリー『苦海浄土』では、女優の北林谷栄が「ごぜ」としてそれを演じている。『苦海浄土』を映像化したドキュメンタリー表現には、「石牟礼—御前—北林という線上にある複層的な虚構性」があるというのが後藤の分析である。またこのドキュメンタリーには、足尾銅山鉱毒事件の影も織り込まれている。後藤はこの点を丁寧に読み解き、それが水俣と足尾という二つの場所、そして水俣病と足尾銅山の鉱毒という二つの事件を一つの作品として表現しようとしたものであり、両者をつなぐ生身の作家としての石牟礼、また「御前」、「ごぜ」という作中の存在があったと述べる。そしてそこに、死者と生者、現実と虚構などの区分を跨ぎ、架橋する、石牟礼の表現方法の特徴があると論じている。ひとつの作品がテキスト、スクリプト、そして映像へと形を変える中で、それぞれから石牟礼の世界観をつなぎほぐした分析と考察は、石牟礼道子研究の重要な成果である。
本書第二部「呼応する表現」では、詩、音楽、能楽、舞台演出などで活躍する4人の表現者が、それぞれに石牟礼を語っている。第二部のキーワードは、言葉、声、歌、身体の4つである。石牟礼は俳句、短歌、詩を書く人であった。詩人の小池昌代は、石牟礼の作品の特徴について、石牟礼自身の身体感覚と自然環境との「境界線が滲んでいる。「個人」の観念が溶けている」と述べている。また、石牟礼の詩を声に出して読むことで、われわれの身体の中に言葉以前の「原初の創世記的風景が立ち現れる」と評している。つまり小池は、石牟礼の詩は身体で読む作品であると指摘しているのである。続いて音楽家の寺尾紗穂は、「夕刻」という石牟礼の詩に曲をつけて歌う中で出会った、彼女における石牟礼体験を語っている。寺尾は自嘲気味に、自身の歌には暗いものが多いとしつつ、「それでも苦しみを歌うときには、それが昇華してほしいという思いで歌う」と述べる。石牟礼の『苦海浄土』は、不知火の“惨”という状況についての単なる告発ではない。石牟礼の詩の底流にあって、人の寂しさにそっと寄り添う言葉と歌の力に導かれ、寺尾自身も「光差す歌を歌い続けたい」と言葉を結んでいる。同じく作曲家の萩久保和明は、石牟礼の作品を音楽でいかに表現するかという点について語る。萩久保は、「詩の持つ音楽的な時間(朗読する時の)と、時間芸術としての音楽的な持続は違う」と述べる。そして、石牟礼の絵本『みなまた 海のこえ』をもとに作った合唱曲『しゅうりりえんえん』は、原作とは別物であると明言する。しかし萩久保は自身が作曲することの意味を、「こんなにもあわれで、おろかな人間という生き物がそれでもあがいて生きていたという墓碑銘を建てること」と述べている。この点で、石牟礼の世界観、人間観と響き合っているのである。
続いて、能楽師の安田登、プロデューサーの志村昌司、演出家の笠井賢一が「芸能の力」という立場から、それぞれに石牟礼作品を読み解いている。安田は、弱い人間や敗者の視点から世界の悲喜交々を表現する能の演目は石牟礼の世界観と重なり、絶望的な世界のなかにも一輪の花のような瞬間や笑いを見出そうとする芸能、表現の世界を創り出したのが石牟礼だと論じている。志村は「人間としての全体性を回復するためには、文字以前の世界の芸術的な追体験、すなわち能によって、私たちの潜在意識を呼び起こさねばならない、と石牟礼は考えていたのである」と論じている。短いながら志村のこの文章は、石牟礼がなぜ能に引き寄せられたのかを言い当てていると言えよう。演出家の笠井は、新作能には「これまでに能になかった新しい題材を、古典が持っている力、能の枠組みを用いて表現する」ところに、芸能としての現代的な可能性があると述べる。そして石牟礼の新作能『不知火』には、その可能性と重みがあると評する。さらに笠井は、自然との交感(correspondence)、生物との対話や、様々な事柄との共振などが織り込まれた石牟礼の文学作品は「声にされることを待っている」と述べる。そして、「散文から詩的言語、あるいはメロディがあることで別世界に入っていくことは、人間の大事な部分」であり、その意味で石牟礼の作品は「歌」に他ならないとも語る。続いて本書に収録されている「『不知火』演出ノート」の中で笠井は、「能を書くことは言葉との出会い直しであった」という石牟礼の言葉を引き、自身も芸能者として「私たち能の側も新たな世界の輝きを秘めたこの新作能と出会い直さなければならない」と述べている。
本書の編著者らもまた、文字の枠にとどまらない“声の文化”の表現者として石牟礼を位置づける。その先には、その声はいったい誰の声なのかという問いがある。本書を貫く観点は、石牟礼の声の基底あるいは手前には「他者」の声があるというものである。評者は冒頭で、「石牟礼道子は各論者にとって何者なのかという視角」が、本書を読む際に重要であると述べた。第三部「<古典>への遡行」には、「他者」の声の典拠として古典を措定し、歴史や文学の立場からのさらに充実した論考が収められている。
歴史学者の北條勝貴は、石牟礼が17歳の時に書いた「朝」という詩の中にある、「(穴のあいた)太鼓」のイメージを取りあげ、それがほかの石牟礼の作品で語られる音、水、差別、災害などを喚起する表象であると指摘している。日本だけでなく東アジアへと視点を広げて太鼓の表象を考察しつつ、石牟礼の「(穴のあいた)太鼓」の意味を掘り下げ、結論として「鼓は、過去からの声を表象し、現在に影響を与えて未来を変質させる、<邂逅>の道具そのものであった」と北條は述べる。多くの論者が引き寄せられていく「石牟礼道子=シャーマン」説ではなく、多くの史料や作品の緻密な解釈という“迂回”によって、石牟礼文学が依拠する<古典>の意味に迫る北條の論運びは非常にスリリングであり、また手堅い。北條は「わたしたち独自の歴史実践が、石牟礼文学に応えるひとつの方法なのである」と述べ、その論考自体が歴史実践の一つだとしている。石牟礼文学に向き合うことは、その作品に埋め込まれた過去、あるいは読み手が喚起する過去を、読み手自身が未来へと拓いていくことに他ならないということである。
古典文学を専門とする樋口大祐は、石牟礼の『西南役伝説』のテクスト読解を通し、この作品の主題には3つのタイプが内在していると論じている。樋口の3つのタイプの整理とは、(1)西南戦争は1877年に起きた史実でありその記憶と伝承が主題その1である、(2)幕末の天草諸島の苦難の歴史とその伝承が西南戦争に先立ってあるという主題その2である、(3)作中に登場する「おろく」や「おえん」は石牟礼が自信を仮託した存在でありそれは定住共同社会に外部から訪れる遊行の者であるという主題その3である。樋口はこれらの主題が「分裂している」ものだと分析するが、この分裂には「石牟礼が時代の要請(対抗的・民衆的歴史語り)に応えようとしつつも、否応なく自身を発見していく道筋が示されている」と結論づけている。日々の生活と物語とを西南戦争という史実を題材とした語りにおいて接続しているのが石牟礼の創作世界だが、そこに斬り込んだ樋口の論考は、作品世界の分裂の度合いとは逆に非常にクリアである。
粂汐里は語り物研究の視点から、石牟礼作品と「説経節」との類似性、石牟礼作品が纏う「<説経節らしさ>の正体」について論じている。説経節とは、室町時代から江戸時代にかけて流行した語り物芸能のことで、石牟礼作品には「ゆき女」(『苦海浄土』)や「六道御前」(『西南役伝説』)など、語り物の担い手が登場する。粂はこれらの存在を俎上にあげ、石牟礼作品にみえる<古典らしきもの>の影を追っている。粂はその<古典らしきもの>について、「古典文学から単純に引用しただけでなく、それを独自に改作し、石牟礼氏自身の言葉で編み直した、彼女自身の語り物と称すべき文体である」と述ベている。本書第一部で赤坂憲雄が石牟礼を“「浄瑠璃語り」の徒”と評しているが、粂の考察もそれと響き合うものである。
本書の編者のひとりである山田悠介は、石牟礼作品『椿の海の記』の中に出てくる、自身が狐に変身するという<変身>譚を取りあげ、その<変身>譚に竹田出雲の浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』の文言が引用されていることの意味を、テキストの引用と取り込みという観点から考察している。この<変身>譚には、人間から白狐への変身(変身1)と白狐から人間への化身(変身2)という二度の変身が描かれている。山田はこの点に注目する。そしてこの<変身>譚からは、石牟礼が「先行する物語を受容し、それを土台にしながら、新たな物語−「わたし」の物語−が創出されている」ことが分かるという。引用の“語り直し”は単なる引用ではない。先の粂の分析を参照するならば、それは言葉の「編み直し」であり、新しい言葉を生み出すことでもある。山田は結論部で再び「石牟礼道子ははたしてどのような詩人・作家であったのか」と問うている。
本書を通してわれわれ読者は、上の問いには唯一の正解など無いということをあらためて知る。「おわりに」で野田研一は、次のように述べる。
石牟礼道子という作家の不思議は、たんなる理論的な振る舞いを許さないところにある。理論的振る舞いにかならずある種の柔らかな倫理性が重なり合う。それが論者にも波及する。石牟礼道子について語りたいという願望にとって、こうしたある種の倫理性が不可避なのである。
野田は、「倫理」という語で石牟礼道子を読むことを意味づけている。高校や大学初年次の「倫理」の授業では、倫理は「人と人との関係(=倫)及びそのことわり(=理)」と習う。その関係は、人と人との関係だけはなく、動植物や自然環境と人との関係、過去に生きていた人(=死者)と人との関係なども含む。しかし、生きている人間を中心にものを思考し教育を行う現代の教育機関では、死者や声なき存在との関係をとりなす倫理については扱い切れない。だからこそ、石牟礼道子あるいは彼女につらなる作家たちの作品にふれ、そこから聞こえくる声に耳を澄ます必要がある。これは今、切実に求められていることである。野田は本書末尾で「石牟礼道子の声の向こうに、多種多様な別の<声>が重層している」と述べている。その言葉の通りに、本書は石牟礼のもとへその<声>を聴きに出かけ、その声を記したポリフォニックな作品である。
本書は、2018年に開催された立教大学ESD研究所主催のシンポジウム「石牟礼道子を読み直す−日本古典文学との「対話」」で交わされた議論の成果を土台とし、多様な論者による石牟礼道子との邂逅をひとつに編んだ作品である。現代日本文学史において、石牟礼は詩人・作家として位置づけられることが多い。しかし、本書で各論者たちが言及する石牟礼の作品群は、小説、詩歌、能や狂言など広い範囲のものである。そこで編著者をはじめ各論者たちは、「石牟礼道子は何者なのか」とあらためて問い、諸作品を読み解いている。当然のことながら、本書を読むわれわれにも、石牟礼道子は各論者にとって何者なのかという視角が求められる。本書を読む大きな意義は、ここにある。
本書は三部で構成されている。上で述べた視角を念頭において、各論の内容について概観しておこう。第一部「文字と声のあいだ」では、民俗、文学、映像・演劇という観点から石牟礼とは何者なのかが語られている。赤坂憲雄は『苦界浄土』を俎上にのせ、民俗学の語りと文芸の語りとを対照させて、石牟礼の創作活動を論じている。赤坂は、共同体の外から訪れる旅芸人による「浄瑠璃語り」の徒として、石牟礼を評している。怪談や民話ではなく、死者や病者らを含む共同体の成員の苦を浄化する「浄瑠璃」の作者が石牟礼道子であるという赤坂による考察は、『苦海浄土』の内容及びその作家論を含んだ示唆に富んだものである。続いて古典文学研究の小峯和明も、赤坂がとったアプローチに近い形で石牟礼とは何者であるかを問うている。小峯は、「異界の語り部」として石牟礼を定位する。そして彼女が作品の中の言葉によって表出させる「異界」の原郷あるいはリソースとして、『今昔物語集』や『梁塵秘抄』などの古典があると指摘する。また小峯は「今日の文学研究の隘路の一つに古典と近代の分断がある」と述べ、石牟礼作品にはその隘路を押し広げて古典と近代との行き来を促す言葉群が埋め込まれていると論じている。
続いて野田研一は、環境文学の観点から『苦海浄土』における風景(らしきもの)の描写をとりあげ、それらは水俣の漁民たちの暮らしの「祖型」であり、<風物誌>、<原風景>、<現像>という概念で捉えられるものだと論じている。また野田は、水俣弁を織り込んで叙述される『苦海浄土』に、<声の文化>と<文字の文化>との屹立関係を読みとっている。そして『苦海浄土』を、「モダニズムの文学にして、非近代/脱近代の物語なのである」と評している。文字化される以前の(そこにある原初の)出来事と文字化されたテクストとの間の相剋や往還についての考察は、文学批評の定番の一つである。野田は、石牟礼による風景叙述の“揺れ”を手がかりとして、声と文字との間に作品世界を置き直そうと試みる。ここからは、石牟礼文学の批評にとどまらない思索の沃野が開けてくる。
第一部の終わりは、テレビドキュメンタリー『苦海浄土』とその台本「詩篇 苦海浄土」との関係を、「表現の方法の問題」という観点から分析した後藤隆基の論考で締められている。台本「詩篇 苦海浄土」には、「非人御前(かんじんごぜ)」という遊行の徒が登場する。その御前は他ならぬ石牟礼自身であるという解釈もある。ドキュメンタリー『苦海浄土』では、女優の北林谷栄が「ごぜ」としてそれを演じている。『苦海浄土』を映像化したドキュメンタリー表現には、「石牟礼—御前—北林という線上にある複層的な虚構性」があるというのが後藤の分析である。またこのドキュメンタリーには、足尾銅山鉱毒事件の影も織り込まれている。後藤はこの点を丁寧に読み解き、それが水俣と足尾という二つの場所、そして水俣病と足尾銅山の鉱毒という二つの事件を一つの作品として表現しようとしたものであり、両者をつなぐ生身の作家としての石牟礼、また「御前」、「ごぜ」という作中の存在があったと述べる。そしてそこに、死者と生者、現実と虚構などの区分を跨ぎ、架橋する、石牟礼の表現方法の特徴があると論じている。ひとつの作品がテキスト、スクリプト、そして映像へと形を変える中で、それぞれから石牟礼の世界観をつなぎほぐした分析と考察は、石牟礼道子研究の重要な成果である。
本書第二部「呼応する表現」では、詩、音楽、能楽、舞台演出などで活躍する4人の表現者が、それぞれに石牟礼を語っている。第二部のキーワードは、言葉、声、歌、身体の4つである。石牟礼は俳句、短歌、詩を書く人であった。詩人の小池昌代は、石牟礼の作品の特徴について、石牟礼自身の身体感覚と自然環境との「境界線が滲んでいる。「個人」の観念が溶けている」と述べている。また、石牟礼の詩を声に出して読むことで、われわれの身体の中に言葉以前の「原初の創世記的風景が立ち現れる」と評している。つまり小池は、石牟礼の詩は身体で読む作品であると指摘しているのである。続いて音楽家の寺尾紗穂は、「夕刻」という石牟礼の詩に曲をつけて歌う中で出会った、彼女における石牟礼体験を語っている。寺尾は自嘲気味に、自身の歌には暗いものが多いとしつつ、「それでも苦しみを歌うときには、それが昇華してほしいという思いで歌う」と述べる。石牟礼の『苦海浄土』は、不知火の“惨”という状況についての単なる告発ではない。石牟礼の詩の底流にあって、人の寂しさにそっと寄り添う言葉と歌の力に導かれ、寺尾自身も「光差す歌を歌い続けたい」と言葉を結んでいる。同じく作曲家の萩久保和明は、石牟礼の作品を音楽でいかに表現するかという点について語る。萩久保は、「詩の持つ音楽的な時間(朗読する時の)と、時間芸術としての音楽的な持続は違う」と述べる。そして、石牟礼の絵本『みなまた 海のこえ』をもとに作った合唱曲『しゅうりりえんえん』は、原作とは別物であると明言する。しかし萩久保は自身が作曲することの意味を、「こんなにもあわれで、おろかな人間という生き物がそれでもあがいて生きていたという墓碑銘を建てること」と述べている。この点で、石牟礼の世界観、人間観と響き合っているのである。
続いて、能楽師の安田登、プロデューサーの志村昌司、演出家の笠井賢一が「芸能の力」という立場から、それぞれに石牟礼作品を読み解いている。安田は、弱い人間や敗者の視点から世界の悲喜交々を表現する能の演目は石牟礼の世界観と重なり、絶望的な世界のなかにも一輪の花のような瞬間や笑いを見出そうとする芸能、表現の世界を創り出したのが石牟礼だと論じている。志村は「人間としての全体性を回復するためには、文字以前の世界の芸術的な追体験、すなわち能によって、私たちの潜在意識を呼び起こさねばならない、と石牟礼は考えていたのである」と論じている。短いながら志村のこの文章は、石牟礼がなぜ能に引き寄せられたのかを言い当てていると言えよう。演出家の笠井は、新作能には「これまでに能になかった新しい題材を、古典が持っている力、能の枠組みを用いて表現する」ところに、芸能としての現代的な可能性があると述べる。そして石牟礼の新作能『不知火』には、その可能性と重みがあると評する。さらに笠井は、自然との交感(correspondence)、生物との対話や、様々な事柄との共振などが織り込まれた石牟礼の文学作品は「声にされることを待っている」と述べる。そして、「散文から詩的言語、あるいはメロディがあることで別世界に入っていくことは、人間の大事な部分」であり、その意味で石牟礼の作品は「歌」に他ならないとも語る。続いて本書に収録されている「『不知火』演出ノート」の中で笠井は、「能を書くことは言葉との出会い直しであった」という石牟礼の言葉を引き、自身も芸能者として「私たち能の側も新たな世界の輝きを秘めたこの新作能と出会い直さなければならない」と述べている。
本書の編著者らもまた、文字の枠にとどまらない“声の文化”の表現者として石牟礼を位置づける。その先には、その声はいったい誰の声なのかという問いがある。本書を貫く観点は、石牟礼の声の基底あるいは手前には「他者」の声があるというものである。評者は冒頭で、「石牟礼道子は各論者にとって何者なのかという視角」が、本書を読む際に重要であると述べた。第三部「<古典>への遡行」には、「他者」の声の典拠として古典を措定し、歴史や文学の立場からのさらに充実した論考が収められている。
歴史学者の北條勝貴は、石牟礼が17歳の時に書いた「朝」という詩の中にある、「(穴のあいた)太鼓」のイメージを取りあげ、それがほかの石牟礼の作品で語られる音、水、差別、災害などを喚起する表象であると指摘している。日本だけでなく東アジアへと視点を広げて太鼓の表象を考察しつつ、石牟礼の「(穴のあいた)太鼓」の意味を掘り下げ、結論として「鼓は、過去からの声を表象し、現在に影響を与えて未来を変質させる、<邂逅>の道具そのものであった」と北條は述べる。多くの論者が引き寄せられていく「石牟礼道子=シャーマン」説ではなく、多くの史料や作品の緻密な解釈という“迂回”によって、石牟礼文学が依拠する<古典>の意味に迫る北條の論運びは非常にスリリングであり、また手堅い。北條は「わたしたち独自の歴史実践が、石牟礼文学に応えるひとつの方法なのである」と述べ、その論考自体が歴史実践の一つだとしている。石牟礼文学に向き合うことは、その作品に埋め込まれた過去、あるいは読み手が喚起する過去を、読み手自身が未来へと拓いていくことに他ならないということである。
古典文学を専門とする樋口大祐は、石牟礼の『西南役伝説』のテクスト読解を通し、この作品の主題には3つのタイプが内在していると論じている。樋口の3つのタイプの整理とは、(1)西南戦争は1877年に起きた史実でありその記憶と伝承が主題その1である、(2)幕末の天草諸島の苦難の歴史とその伝承が西南戦争に先立ってあるという主題その2である、(3)作中に登場する「おろく」や「おえん」は石牟礼が自信を仮託した存在でありそれは定住共同社会に外部から訪れる遊行の者であるという主題その3である。樋口はこれらの主題が「分裂している」ものだと分析するが、この分裂には「石牟礼が時代の要請(対抗的・民衆的歴史語り)に応えようとしつつも、否応なく自身を発見していく道筋が示されている」と結論づけている。日々の生活と物語とを西南戦争という史実を題材とした語りにおいて接続しているのが石牟礼の創作世界だが、そこに斬り込んだ樋口の論考は、作品世界の分裂の度合いとは逆に非常にクリアである。
粂汐里は語り物研究の視点から、石牟礼作品と「説経節」との類似性、石牟礼作品が纏う「<説経節らしさ>の正体」について論じている。説経節とは、室町時代から江戸時代にかけて流行した語り物芸能のことで、石牟礼作品には「ゆき女」(『苦海浄土』)や「六道御前」(『西南役伝説』)など、語り物の担い手が登場する。粂はこれらの存在を俎上にあげ、石牟礼作品にみえる<古典らしきもの>の影を追っている。粂はその<古典らしきもの>について、「古典文学から単純に引用しただけでなく、それを独自に改作し、石牟礼氏自身の言葉で編み直した、彼女自身の語り物と称すべき文体である」と述ベている。本書第一部で赤坂憲雄が石牟礼を“「浄瑠璃語り」の徒”と評しているが、粂の考察もそれと響き合うものである。
本書の編者のひとりである山田悠介は、石牟礼作品『椿の海の記』の中に出てくる、自身が狐に変身するという<変身>譚を取りあげ、その<変身>譚に竹田出雲の浄瑠璃『蘆屋道満大内鑑』の文言が引用されていることの意味を、テキストの引用と取り込みという観点から考察している。この<変身>譚には、人間から白狐への変身(変身1)と白狐から人間への化身(変身2)という二度の変身が描かれている。山田はこの点に注目する。そしてこの<変身>譚からは、石牟礼が「先行する物語を受容し、それを土台にしながら、新たな物語−「わたし」の物語−が創出されている」ことが分かるという。引用の“語り直し”は単なる引用ではない。先の粂の分析を参照するならば、それは言葉の「編み直し」であり、新しい言葉を生み出すことでもある。山田は結論部で再び「石牟礼道子ははたしてどのような詩人・作家であったのか」と問うている。
本書を通してわれわれ読者は、上の問いには唯一の正解など無いということをあらためて知る。「おわりに」で野田研一は、次のように述べる。
石牟礼道子という作家の不思議は、たんなる理論的な振る舞いを許さないところにある。理論的振る舞いにかならずある種の柔らかな倫理性が重なり合う。それが論者にも波及する。石牟礼道子について語りたいという願望にとって、こうしたある種の倫理性が不可避なのである。
野田は、「倫理」という語で石牟礼道子を読むことを意味づけている。高校や大学初年次の「倫理」の授業では、倫理は「人と人との関係(=倫)及びそのことわり(=理)」と習う。その関係は、人と人との関係だけはなく、動植物や自然環境と人との関係、過去に生きていた人(=死者)と人との関係なども含む。しかし、生きている人間を中心にものを思考し教育を行う現代の教育機関では、死者や声なき存在との関係をとりなす倫理については扱い切れない。だからこそ、石牟礼道子あるいは彼女につらなる作家たちの作品にふれ、そこから聞こえくる声に耳を澄ます必要がある。これは今、切実に求められていることである。野田は本書末尾で「石牟礼道子の声の向こうに、多種多様な別の<声>が重層している」と述べている。その言葉の通りに、本書は石牟礼のもとへその<声>を聴きに出かけ、その声を記したポリフォニックな作品である。
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