女方にとって憧れの黒蜥蜴
河合 雪之丞(新派俳優)
2024/03/12
トピックス
OVERVIEW
新派の女方として活躍する河合雪之丞さんは、市川春猿を名のっていた歌舞伎俳優の時代、当時の松本幸四郎さん(現・二代目白鸚)と市川染五郎さん(現・十代目松本幸四郎)による「乱歩歌舞伎」——『江戸宵闇妖鉤爪—明智小五郎と人間豹—』(岩豪友樹子脚色、九代琴松演出、国立劇場、2008年10月)に出演されました。2017年に劇団新派に移籍すると『黒蜥蜴』(齋藤雅文脚色・演出、三越劇場、2017年6月)で黒蜥蜴役を演じています。歌舞伎と新派の両方で乱歩原作の舞台に出演されてきた雪之丞さんに、乱歩と歌舞伎、新派についてお話を伺いました。
女方にとって憧れの黒蜥蜴/河合 雪之丞(新派俳優)
『江戸宵闇妖鉤爪』の一人三役
—— 当時の松本幸四郎さん(現・二代目白鸚)と市川染五郎さん(現・十代目松本幸四郎)による「乱歩歌舞伎」——『江戸宵闇妖鉤爪—明智小五郎と人間豹—』(岩豪友樹子脚色、九代琴松演出、国立劇場、2008年10月)は、昭和から幕末に設定を変えて、世話物的な形に翻案していました。
雪之丞(以下略) 時代を変えてしまうのは歌舞伎の真骨頂で、どの作品でもあるやり方ですね。『仮名手本忠臣蔵』がいい例ですが、その歌舞伎のよさ、便利さが、時代も変幻自在にしてしまう。それに大した作業じゃないんです。衣裳と大道具と小道具が変われば済む話でね。あとは車を駕籠にするとか、幕末にすればピストルも使えるとか。
—— 時代を自由に移し替えてしまう。
それこそ、明治や昭和にして散切物になったら、せっかく歌舞伎の人が歌舞伎でやるのに、新派みたいに見えてしまうかもしれない。髷物でやるところに歌舞伎の意義があるし、時代設定を変更するのは、我々はもちろん、お客様も抵抗はなかったと思います。だから「人間豹」を書き物として読まれたことのない方でも楽しんでいただけたんじゃないでしょうか。
—— 雪之丞さんは、商家の娘お甲、女役者のお蘭、明智の女房文代という一人三役を勤められました。非常に乱歩の作品世界に出てきそうな仕掛けでもあり、歌舞伎だからこその技法で、歌舞伎と乱歩がマッチする趣向でした。あの三役を演じ分けることについては、いかがでしたか。
早替わりとかで役が変わることは歌舞伎でもよくあることですし、同じ芝居の中で二役やることもあります。だけど、あのお芝居では、明智の奥さんはわかりやすいんですが、問題は商家の娘と女役者の二役。順番に死んでいくからいいんですけど(笑)、あれが殺されずに並行して出てきたら難しかった。
—— 生きていて次の場にまた出てきて、といった形だと複雑になる。
そう。外連としての早替わりでやるのは意味があるでしょうけど、ただの二役では演じ分けるのは大変だと思うし、早替わりの場合も、女から男、男から女というならわかりやすいんですけどね。あの三役は「顔が似ている」という設定が重要でしたから。
—— 顔が似ているから、恩田乱学に狙われる。
ええ。でも、高麗屋の旦那(現・二代目白鸚)がうまく演出してくだすったので、三役が大変とか、どうやったら代わり映えするとか、悩まずにやらせていただいた覚えがあります。
—— 殺されるとその役は終わって、次の役をやる。ひとつの物語の中で順繰りに役を勤めていくのも、見た目が似ているという設定なだけに、それぞれを印象づけていくのはご苦労もあったのかと想像します。
どの役も個性のある役でしたけれど、場面ごとにその役を印象づけないといけませんからね。「そんな人出てきた?」なんて思われたら困っちゃう。だから、どの役も印象深く残していきたいという思いはありました。
雪之丞(以下略) 時代を変えてしまうのは歌舞伎の真骨頂で、どの作品でもあるやり方ですね。『仮名手本忠臣蔵』がいい例ですが、その歌舞伎のよさ、便利さが、時代も変幻自在にしてしまう。それに大した作業じゃないんです。衣裳と大道具と小道具が変われば済む話でね。あとは車を駕籠にするとか、幕末にすればピストルも使えるとか。
—— 時代を自由に移し替えてしまう。
それこそ、明治や昭和にして散切物になったら、せっかく歌舞伎の人が歌舞伎でやるのに、新派みたいに見えてしまうかもしれない。髷物でやるところに歌舞伎の意義があるし、時代設定を変更するのは、我々はもちろん、お客様も抵抗はなかったと思います。だから「人間豹」を書き物として読まれたことのない方でも楽しんでいただけたんじゃないでしょうか。
—— 雪之丞さんは、商家の娘お甲、女役者のお蘭、明智の女房文代という一人三役を勤められました。非常に乱歩の作品世界に出てきそうな仕掛けでもあり、歌舞伎だからこその技法で、歌舞伎と乱歩がマッチする趣向でした。あの三役を演じ分けることについては、いかがでしたか。
早替わりとかで役が変わることは歌舞伎でもよくあることですし、同じ芝居の中で二役やることもあります。だけど、あのお芝居では、明智の奥さんはわかりやすいんですが、問題は商家の娘と女役者の二役。順番に死んでいくからいいんですけど(笑)、あれが殺されずに並行して出てきたら難しかった。
—— 生きていて次の場にまた出てきて、といった形だと複雑になる。
そう。外連としての早替わりでやるのは意味があるでしょうけど、ただの二役では演じ分けるのは大変だと思うし、早替わりの場合も、女から男、男から女というならわかりやすいんですけどね。あの三役は「顔が似ている」という設定が重要でしたから。
—— 顔が似ているから、恩田乱学に狙われる。
ええ。でも、高麗屋の旦那(現・二代目白鸚)がうまく演出してくだすったので、三役が大変とか、どうやったら代わり映えするとか、悩まずにやらせていただいた覚えがあります。
—— 殺されるとその役は終わって、次の役をやる。ひとつの物語の中で順繰りに役を勤めていくのも、見た目が似ているという設定なだけに、それぞれを印象づけていくのはご苦労もあったのかと想像します。
どの役も個性のある役でしたけれど、場面ごとにその役を印象づけないといけませんからね。「そんな人出てきた?」なんて思われたら困っちゃう。だから、どの役も印象深く残していきたいという思いはありました。
新派で黒蜥蜴を演じること
—— 雪之丞さんは、2017年に劇団新派に移籍されて、市川春猿から河合雪之丞と改名されます。その年の6月に『黒蜥蜴』で黒蜥蜴を勤められました。盟友ともいうべき澤瀉屋門下の喜多村緑郎さんが先に新派に入られて、文芸部の齋藤雅文さんが脚色・演出されたことも大きいですが、やはり雪之丞さんがいらしたからこそ、新派で『黒蜥蜴』が上演できたと思います。一方で『黒蜥蜴』といえば、三島由紀夫の脚色が存在していて、美輪明宏さんや坂東玉三郎さんなどがなさっていたイメージが強いですよね。
そうですね。でも『黒蜥蜴』の初演は、先代の水谷八重子さんなので、新派にゆかりのある作品でもあるんです。喜多村さんの発案でしたが、新派として『黒蜥蜴』を上演するのは意義深いことですし、私は女方として、役者として、あの作品に挑戦させていただけてよかったと思っています。齋藤さんが脚本も演出も、うまくつくってくださった。それに三越劇場という空間をどう使うかが悩ましくてね。舞台転換が難しいんです。
—— 袖もなければ、奥行きもない。
大変でした(笑)。でも、悩んだ甲斐があったというか、齋藤さんのアイデアで劇場全体の空間を装置のように使ったことで非常にすてきな舞台構成になりましたし。早替わりもありましたので、師匠の早替わりを何百回も手伝った経験も含めて、私が歌舞伎で学んできたこと、勉強させていただいたことが引き出しとして役に立ちましたね。
—— 『黒蜥蜴』は、以前から雪之丞さんご自身なさりたいという思いはおありだったのでしょうか。
玉三郎さんや美輪明宏さんもなさっていて、女方だったら一度はやりたいと思う役ですよね。女方にとっての憧れといいますか。ただ、非常に困難なお役でして、バックボーンが明らかじゃないので、それをどうするか。そこは、齋藤さんがうまく書いてくださいましたね。明智に「私、子どもの頃はこうだったわ、ああだったわ。女中たちがいて、みんな笑ってたの、白いお花畑の中で……」なんて言うわけです。「そういう人なのかな」と思うんだけど、それさえ嘘かもしれない。何が本当で何が嘘で、年齢も本名もわからない。バックボーンが曖昧なところを考えだすと、答えが出ない役なんです。だから、バックボーンをあまり意識しないで、今の黒蜥蜴の欲望、めざしているもの、落ち着きたい場所、心のよりどころ——そういった部分を積み重ねてつくりました。過去にあったことも少しは情報として入れておくべきだろうけど、確立した何かがないので、そこを突き詰めるとやれないと思うんです、あの役は。そういう難しさはありましたね。
—— 舞台を拝見すると、黒蜥蜴という人物が一体何者なのかを探すような筋が鮮明に浮かびあがってきました。
そう。自分探しの旅なんです、結局は。人間で蝋人形をつくってみたりするのも、黒蜥蜴の性(さが)というか。その中に、上品で高貴でお育ちもよく、でも大胆で勝負強くて運もあって魅力的な、誰もが振り向くような女じゃなきゃいけない。小説なら脱いでもきれいですから。そういう女性像をつくりあげるのが大前提なんですけどね。
—— たとえば、玉三郎さんの黒蜥蜴を参考にされたところはおありでしたか。
玉三郎さんはすべてを兼ね備えてるじゃないですか。なおかつ本物志向なので、玉三郎さんがなさったときは、舞台で着ける宝飾品は警備員が持ち運んだそうですよ。私はとてもそうはいかないですけど(笑)。ただ、玉三郎さん自身もそこまで思い入れのある役だったと思うし、そういう意味でも、私は緊張感を持ってやらしていただいたお役でした。まあ、いつも緊張してるんですけどね(笑)。自分の役者人生の中でも、本当に特別な役でした。
そうですね。でも『黒蜥蜴』の初演は、先代の水谷八重子さんなので、新派にゆかりのある作品でもあるんです。喜多村さんの発案でしたが、新派として『黒蜥蜴』を上演するのは意義深いことですし、私は女方として、役者として、あの作品に挑戦させていただけてよかったと思っています。齋藤さんが脚本も演出も、うまくつくってくださった。それに三越劇場という空間をどう使うかが悩ましくてね。舞台転換が難しいんです。
—— 袖もなければ、奥行きもない。
大変でした(笑)。でも、悩んだ甲斐があったというか、齋藤さんのアイデアで劇場全体の空間を装置のように使ったことで非常にすてきな舞台構成になりましたし。早替わりもありましたので、師匠の早替わりを何百回も手伝った経験も含めて、私が歌舞伎で学んできたこと、勉強させていただいたことが引き出しとして役に立ちましたね。
—— 『黒蜥蜴』は、以前から雪之丞さんご自身なさりたいという思いはおありだったのでしょうか。
玉三郎さんや美輪明宏さんもなさっていて、女方だったら一度はやりたいと思う役ですよね。女方にとっての憧れといいますか。ただ、非常に困難なお役でして、バックボーンが明らかじゃないので、それをどうするか。そこは、齋藤さんがうまく書いてくださいましたね。明智に「私、子どもの頃はこうだったわ、ああだったわ。女中たちがいて、みんな笑ってたの、白いお花畑の中で……」なんて言うわけです。「そういう人なのかな」と思うんだけど、それさえ嘘かもしれない。何が本当で何が嘘で、年齢も本名もわからない。バックボーンが曖昧なところを考えだすと、答えが出ない役なんです。だから、バックボーンをあまり意識しないで、今の黒蜥蜴の欲望、めざしているもの、落ち着きたい場所、心のよりどころ——そういった部分を積み重ねてつくりました。過去にあったことも少しは情報として入れておくべきだろうけど、確立した何かがないので、そこを突き詰めるとやれないと思うんです、あの役は。そういう難しさはありましたね。
—— 舞台を拝見すると、黒蜥蜴という人物が一体何者なのかを探すような筋が鮮明に浮かびあがってきました。
そう。自分探しの旅なんです、結局は。人間で蝋人形をつくってみたりするのも、黒蜥蜴の性(さが)というか。その中に、上品で高貴でお育ちもよく、でも大胆で勝負強くて運もあって魅力的な、誰もが振り向くような女じゃなきゃいけない。小説なら脱いでもきれいですから。そういう女性像をつくりあげるのが大前提なんですけどね。
—— たとえば、玉三郎さんの黒蜥蜴を参考にされたところはおありでしたか。
玉三郎さんはすべてを兼ね備えてるじゃないですか。なおかつ本物志向なので、玉三郎さんがなさったときは、舞台で着ける宝飾品は警備員が持ち運んだそうですよ。私はとてもそうはいかないですけど(笑)。ただ、玉三郎さん自身もそこまで思い入れのある役だったと思うし、そういう意味でも、私は緊張感を持ってやらしていただいたお役でした。まあ、いつも緊張してるんですけどね(笑)。自分の役者人生の中でも、本当に特別な役でした。
新派の女方であること
—— 黒蜥蜴は、齋藤さんによる雪之丞さんへの当て書きでした。
ありがたいことです。だから、台本を読んで、スッと役に入れたというか。芝居のお稽古になっても、引っかかることがなかった。それは、以前からやりたかったからかもしれないけれど、クエスチョンマークが一回もつかなかったですね。
—— 黒蜥蜴という役は、洋装の女方という魅力もありました。絢爛な着物も含めて、衣裳選びはどのようにされたのでしょうか。
齋藤さんにも相談しながら、自分の衣裳は自分が全部決めたんですが、たとえば、序幕のギンギラギンのシルバーの引着は、私の自前なんです(笑)。初演のポスター撮りのときに「何か毒々しい派手な衣裳がないかな」と考えて、そういえば、自分の衣裳を保管している倉庫にあったなと思い出したんです。ポスターにだけ使うつもりだったんですが、会社の人が「ポスターを見た人が『本番でも着てくれるんですよね』と言うので、どうにか本番でも着てくれませんか」と(笑)。でも、こんなの着る場面ないしな……と思って、仕方ないので、最初の踊りのときだけ使ったんですけど(笑)。
ありがたいことです。だから、台本を読んで、スッと役に入れたというか。芝居のお稽古になっても、引っかかることがなかった。それは、以前からやりたかったからかもしれないけれど、クエスチョンマークが一回もつかなかったですね。
—— 黒蜥蜴という役は、洋装の女方という魅力もありました。絢爛な着物も含めて、衣裳選びはどのようにされたのでしょうか。
齋藤さんにも相談しながら、自分の衣裳は自分が全部決めたんですが、たとえば、序幕のギンギラギンのシルバーの引着は、私の自前なんです(笑)。初演のポスター撮りのときに「何か毒々しい派手な衣裳がないかな」と考えて、そういえば、自分の衣裳を保管している倉庫にあったなと思い出したんです。ポスターにだけ使うつもりだったんですが、会社の人が「ポスターを見た人が『本番でも着てくれるんですよね』と言うので、どうにか本番でも着てくれませんか」と(笑)。でも、こんなの着る場面ないしな……と思って、仕方ないので、最初の踊りのときだけ使ったんですけど(笑)。
—— 非常にインパクトのある場面になっていました(笑)。他の場面も、いろいろな衣裳が代わる代わる……。
ヤマトホテルの場面や通天閣の場面なんかは、数ある衣裳の中から選んだんですが、洋装の場合、たとえば、船から最後の館までの黒いドレスも、その時代に合っていなければいけませんよね。洋装でドレスだからといって、「なんでも好きなものをどうぞ」ってわけにもいかない。あまりに現代的じゃおかしいし、その時代に合った形のドレスで一番美しく、一番いいものを選ぶ。私が見た中では、舞台で使ったものが、生地といい、デザインといい、一番あの時代に合ってたんじゃないかなと。
—— 雪之丞さんは洋装がお似合いですので。
いえいえ(笑)。私は、自分自身がとてもそうは思えないので……。とくにタイトなドレスは、選ぶのも着るのも苦労します。鬘もそれに合ったものをつくらなければいけませんしね。それから、着物ならそうならないかもしれないけど、洋装のときは、趣味で女の格好をしたい男の人みたいになってしまうのが一番困るんです。芝居の中で「異物」にならないようにしなければいけない。
ヤマトホテルの場面や通天閣の場面なんかは、数ある衣裳の中から選んだんですが、洋装の場合、たとえば、船から最後の館までの黒いドレスも、その時代に合っていなければいけませんよね。洋装でドレスだからといって、「なんでも好きなものをどうぞ」ってわけにもいかない。あまりに現代的じゃおかしいし、その時代に合った形のドレスで一番美しく、一番いいものを選ぶ。私が見た中では、舞台で使ったものが、生地といい、デザインといい、一番あの時代に合ってたんじゃないかなと。
—— 雪之丞さんは洋装がお似合いですので。
いえいえ(笑)。私は、自分自身がとてもそうは思えないので……。とくにタイトなドレスは、選ぶのも着るのも苦労します。鬘もそれに合ったものをつくらなければいけませんしね。それから、着物ならそうならないかもしれないけど、洋装のときは、趣味で女の格好をしたい男の人みたいになってしまうのが一番困るんです。芝居の中で「異物」にならないようにしなければいけない。
—— 新派というジャンルは、今は女方が雪之丞さんお一人ですね。女優の中に、雪之丞さんがいかに入っていくか。そういう難しさもおありなかとも思いますが。
私は身長も大きいですし、女優さんと一緒に舞台に出るのは大変ですが、それは初めて新派に出さしていただいたときから、自分でもわかっていたことなんです。ただ、うちの師匠曰く「女方術」というのがあって、それを会得して身体に持っている人は、女方としてどんな舞台でも成立するんだと。普通の男優さんに「女方をやってください」と言ってもできないでしょう。それは、私が歌舞伎の女方として長年培ってきたものが役に立ってるんじゃないかと思っています。
—— 『黒蜥蜴』は初演のあとに「全美版」(三越劇場、2018年6月)、「緑川夫人編」(大阪松竹座/御園座、2019年9月)という展開がありました。その中で、時期的には「全美版」の前になりますが、サンシャイン劇場での自主公演『怪人二十面相~黒蜥蜴二の替り~』(2018年3月)がありました。設定としては『黒蜥蜴』の前日談、誕生秘話のような形で、先ほどおっしゃった「黒蜥蜴は一体何者なのか」というバックボーンを探していくための鍵にもなったのでしょうか。
あれは『黒蜥蜴』をはじめ、いろいろな乱歩作品を続けていきたいという我々の思いを込めた自主公演だったんです。そこに齋藤さんも共感してくださって、作品を書いてくださった。『黒蜥蜴』を続けていくとしたら、それを膨らませてやっていけるものにしたらどうかというアイデアで、齋藤さんがうまくつくってくださいましたね。黒蜥蜴がどうやって生まれたか。幕切れのトカゲの入れ墨とか……。非常にお見事でした。
—— 短期間の自主公演でしたが、とてもいい作品でした。
本当に手弁当だったので、道具も全部、我々も含めて役者衆が運んでね。大変でした(笑)。それでもお客さまには喜んでいただけて、楽しんでいただけたんじゃないかとは思っています。「自主公演なんてやる時代じゃない」と思う方もいらっしゃるけれど、少しでも「新派でもこういう作品をやったらいいのに」と思ってもらえるきっかけをつくりたかったんです。
私は身長も大きいですし、女優さんと一緒に舞台に出るのは大変ですが、それは初めて新派に出さしていただいたときから、自分でもわかっていたことなんです。ただ、うちの師匠曰く「女方術」というのがあって、それを会得して身体に持っている人は、女方としてどんな舞台でも成立するんだと。普通の男優さんに「女方をやってください」と言ってもできないでしょう。それは、私が歌舞伎の女方として長年培ってきたものが役に立ってるんじゃないかと思っています。
—— 『黒蜥蜴』は初演のあとに「全美版」(三越劇場、2018年6月)、「緑川夫人編」(大阪松竹座/御園座、2019年9月)という展開がありました。その中で、時期的には「全美版」の前になりますが、サンシャイン劇場での自主公演『怪人二十面相~黒蜥蜴二の替り~』(2018年3月)がありました。設定としては『黒蜥蜴』の前日談、誕生秘話のような形で、先ほどおっしゃった「黒蜥蜴は一体何者なのか」というバックボーンを探していくための鍵にもなったのでしょうか。
あれは『黒蜥蜴』をはじめ、いろいろな乱歩作品を続けていきたいという我々の思いを込めた自主公演だったんです。そこに齋藤さんも共感してくださって、作品を書いてくださった。『黒蜥蜴』を続けていくとしたら、それを膨らませてやっていけるものにしたらどうかというアイデアで、齋藤さんがうまくつくってくださいましたね。黒蜥蜴がどうやって生まれたか。幕切れのトカゲの入れ墨とか……。非常にお見事でした。
—— 短期間の自主公演でしたが、とてもいい作品でした。
本当に手弁当だったので、道具も全部、我々も含めて役者衆が運んでね。大変でした(笑)。それでもお客さまには喜んでいただけて、楽しんでいただけたんじゃないかとは思っています。「自主公演なんてやる時代じゃない」と思う方もいらっしゃるけれど、少しでも「新派でもこういう作品をやったらいいのに」と思ってもらえるきっかけをつくりたかったんです。
作家たちの日本語を残していくこと
—— 雪之丞さんは、子どもの頃から乱歩作品を読まれていたんですか。
読みましたけれど、私は、子ども向けに書かれてないものだと、文体も文章も難しいし、怖いものは怖いから嫌だった(笑)。でも、父親世代の子どもはみんな意味もわかって、今の子どもが漫画を楽しむように、乱歩作品を挙って読んでいたそうですね。私は親に読み聞かせてもらって、難しい言葉が出てくるとわかりやすく訳してもらって聞いていましたから、そういう意味では、耳から入ってきたほうが多いかもしれません。
—— どんな作品がお好きでしたか。
長い作品もおもしろいですが、短い作品も多いので読みやすいですよね。今風に言うとオムニバス的に読めるし、そういう短い作品を集めた朗読劇のようなものを乱歩でやったらおもしろそうです。
読みましたけれど、私は、子ども向けに書かれてないものだと、文体も文章も難しいし、怖いものは怖いから嫌だった(笑)。でも、父親世代の子どもはみんな意味もわかって、今の子どもが漫画を楽しむように、乱歩作品を挙って読んでいたそうですね。私は親に読み聞かせてもらって、難しい言葉が出てくるとわかりやすく訳してもらって聞いていましたから、そういう意味では、耳から入ってきたほうが多いかもしれません。
—— どんな作品がお好きでしたか。
長い作品もおもしろいですが、短い作品も多いので読みやすいですよね。今風に言うとオムニバス的に読めるし、そういう短い作品を集めた朗読劇のようなものを乱歩でやったらおもしろそうです。
—— とくにどんなところが乱歩作品のおもしろさだと感じられますか。
やっぱり言葉。泉鏡花先生なんかとはまた違う、乱歩先生の言葉の流麗さみたいなもの。作家ならではの言葉遣いってあるじゃないですか。そういう日本語の美しさを残していく、伝えていくのはすごく大事なことですよね。新派でいえば、久保田万太郎先生とか北條秀司先生の台本も、独特の言葉の使い方というか、正しいかどうかは別にして——辞書みたいな日本語という意味ではなくて、魅力的で美しい日本語の宝庫でしょう。時代とともに失われてしまう部分もありますが、乱歩先生やあの時代の作家の日本語を読んだり聞いたりすることで、そうした言葉が消えていく時間を少しでも延ばせるんじゃないかと。それを舞台で伝えていくのも、我々の仕事のひとつだと思っています。
やっぱり言葉。泉鏡花先生なんかとはまた違う、乱歩先生の言葉の流麗さみたいなもの。作家ならではの言葉遣いってあるじゃないですか。そういう日本語の美しさを残していく、伝えていくのはすごく大事なことですよね。新派でいえば、久保田万太郎先生とか北條秀司先生の台本も、独特の言葉の使い方というか、正しいかどうかは別にして——辞書みたいな日本語という意味ではなくて、魅力的で美しい日本語の宝庫でしょう。時代とともに失われてしまう部分もありますが、乱歩先生やあの時代の作家の日本語を読んだり聞いたりすることで、そうした言葉が消えていく時間を少しでも延ばせるんじゃないかと。それを舞台で伝えていくのも、我々の仕事のひとつだと思っています。
旧江戸川乱歩邸応接間/2023年10月18日
動画撮影・編集:吉田雄一郎(メディアセンター)
写真撮影:末永望夢(大衆文化研究センター)
聞き手・文:後藤隆基(大衆文化研究センター助教)
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合があります。
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プロフィール
PROFILE
河合 雪之丞(かわい・ゆきのじょう)