僕をつくった江戸川乱歩

辻 真先(作家・脚本家)

2023/04/19

トピックス

OVERVIEW

小説、テレビ・劇場アニメや特撮のシナリオ、ノベライズなど……。じつに多彩なジャンルの厖大な仕事を、半世紀以上、絶え間なくつくってきた辻真先さん。1932(昭和7)年に名古屋で生まれ、卒寿をこえて御年91歳。今なお現役で各界の第一線を走っている。そんな辻さんをつくった原点が、江戸川乱歩であり、乱歩やその作品を題材にした創作も多い。約60年ぶりに乱歩邸を訪問された辻さんに、乱歩にまつわる記憶と思いを語っていただいた。

『少年探偵団』を初めて読んだ頃

『少年探偵団』(立教大学図書館蔵)

——— 以前、こちらにいらっしゃったのは……。

辻真先(以下略) 約60年ぶりですよ。懐かしいですねえ。

——— 辻さんにとって乱歩の存在は当然大きい……というのは、文字どおり愚問ですが。

いえいえ(笑)。先日、『文藝春秋』から「私の人生を決めた本」という特集(2023年5月号)にあたって、本を何冊か選んでほしいと依頼があって、まず『少年探偵団』(大日本雄弁会講談社、1938年)を挙げました。『怪人二十面相』(大日本雄弁会講談社、1936年)と言いたいところですが、あれが出たときにはまだ存在に気づいていなくて。江戸川乱歩という名前は知ってたんですけど。

——— 最初に乱歩の小説を読まれたのは。

1935(昭和10)年から『幼年倶楽部』を購読していたんですが、「少年探偵団」の連載がはじまったばかりの『少年倶楽部』の1937(昭和12)年2月号を、たまたま本屋の店先で読みまして。名古屋らしく、飛びきり高く買って、飛びきり安く売るのがモットーの「飛切堂」という書店でね。僕の家がすぐ裏で親同士も知ってるので、いくら立ち読みしても文句を言われなかったんです。前年までは小林秀恒さんの挿絵でしたが、僕が読んだときは梁川剛一さんに代わってた。この絵がまたよくてね。世の中にこんなにおもしろい小説があるのかとびっくりして、ひと月分なんてすぐ立ち読みしちゃいました。

——— 乱歩に出会った衝撃が窺えますが、それまで読まれていたものとの違いは。

いろいろ読んでいたんです。講談落語も読んでいましたし、吉川英治さん、南洋一郎さんも全部読んでいましたが、子ども向けの場合、推理より熱血冒険ものになっちゃう。それはそれでおもしろいんだけど、ちょっと違うんですよね。そんな中で、江戸川乱歩は、僕が読みたい、ちゃんとした探偵小説だったんです。前年に連載されていた『怪人二十面相』が単行本になっていたので、親に頼んで買ってもらいましてね。『少年探偵団』のほうは単行本の挿絵も梁川剛一で。どうしたって僕は梁川剛一なんです。最初に読んだので、すり込まれたんでしょうね。

——— だんだんと乱歩を読み進めていかれた。

そのあと「怪人二十面相」シリーズの端境期というか、真ん中が抜けてる部分がありますね。「妖怪博士」(『少年倶楽部』1938年1~12月)から「青銅の魔人」(『少年』光文社、1949年1~12月)の間がすこんと抜けてる。悲しかったのが「大金塊」(『少年倶楽部』1939年1月~1940年2月)ですね。読めども読めども、怪人二十面相が出てこない。どうしちゃったんだろうと思いました。おもしろい暗号物でしたが、読者としては「大事なところが抜けてやしませんか?」という感じだったんですね。ポプラ社になってからはほとんど読んでいませんので、その気持ちが延々と残ってた。だから乱歩先生の文体も真似しながら、自分なりの『怪人二十面相』を2冊書いたんです。

——— 『焼跡の二十面相』(光文社、2019年)と『二十面相 暁に死す』(光文社、2021年)ですね。

自分がもしあの後を書けるなら、自分が乱歩先生だったら……という非常におこがましい言い方ですが、昔の記憶を呼び返して、一生懸命書きました。銀座の焼跡にどんな雑草が生えていたかも調べましたから。やっぱり好きだったんだと思います。

「心理試験」と「月と手袋」をドラマ化して乱歩に会う

——— 少年だった辻さんは名古屋大学を卒業後、1954年にNHKに入局されます。1962年にNHKのテレビ劇場『月と手袋』(7月25日、22時15分~23時05分)を演出されたとき、乱歩邸にいらっしゃって、乱歩本人と打ち合わせをされたとか。

ええ。企画の相談が最初で、放送後にお礼も兼ねてもう一度伺いました。

——— 直接対面した乱歩の印象はいかがでしたか。

土蔵で蠟燭を灯して書いている、という先入観で来たんですが、実際にお会いしたら「いいおじいさん」という感じでしたね。そばに奥さんがいらっしゃったから遠慮されたのかどうか……それはわかりかねますが(笑)、ちょっと頑固そうな好々爺というのが、こちらで二度お目にかかったときの印象です。

——— 乱歩のほうから、ドラマ化にあたっての注文などは。

企画に対して、注文や意見はおっしゃらなかった。それはありがたかったです。あの頃のテレビに原作をくださる人は、テレビ自体がよくわからないから、どんなものかちょっと腕前を見てやろう、という感じだったんじゃないかな。

——— どのようなプロセスでドラマをつくられたのでしょうか。

こちらの目当てとして、当初は「心理試験」(『新青年』1925年2月)をドラマにしたかったんです。あれはテレビ向きだと思うんですね。小さいセットで済みますし、役者がうまければ。ただ、短すぎて1本の1時間ドラマにならない。どうしようかと思って「月と手袋」(『オール読物』1955年4月)と合わせたんです。明智は出ているけど、表でなく裏で活躍する話。だから「心理試験」のほうも明智を誰に頼むか考えたんですが、結局出ないほうがいいということで裏に回してしまって。ナレーションは小山田宗徳さんにお願いしたんです。器用な方で、芝居もコメディもできたので。それなら、やはり明智が裏に回る「月と手袋」でいいだろうと。プロデューサーもディレクターも僕しかいませんから、一人二役でね。自分で勝手に決めちゃったんです。

乱歩のトリックを映像にする困難

——— 制作時にはご苦労が多かったのではと想像します。

「月と手袋」の大事な画面は、皎々たる月。月の光に照らされる白い手袋がトリックのコアなので、そのきれいな画が撮れなきゃダメなんですよ。何とかなると思ったんですが……ならなかった(笑)。あの頃は、テレビを見ていても昼と夜の違いがわかりにくかったので、電灯の明滅で昼と夜を区別してもらったんです。そんな時代ですから、怪しく魔術的な月の輝きなんて、微妙な表現ができるわけない。カメラも照明も、スタッフは当時の一流どころだったんですが、無理でした。だから、乱歩先生がお考えになったようなトリックは全然使えない。役者は、大島渚夫人でもあった小山明子さんと、文学座を離れる前の仲谷昇さんで、芝居はしっかりしてたんですけど、肝心のトリックが……。むしろ「心理試験」までは、原作どおりにうまくできたと思うんですけどねえ。

——— 実際に撮影した作品をご覧になって、いかがでしたか。

生放送でしょう。僕は目が悪いので、ちゃんと時間通り終わるように、時計の秒針が見える場所に立ったり座ったりしてたんです。だから、最終的にどんな番組になったのかさっぱりわからない(笑)。唯一憶えてるのが、箱の上に白い紙を貼って「月と手袋」というタイトルを黒で書いたんです。で、箱の裏から火で焙ると、真ん中から焦げはじめて燃えていく。それをタイトルバックにした。そのタイトルが徐々に燃えてきて、仲谷さんとか小山さんとか、役者の名前が出るわけです。で、その火がだんだん静まっていって、全部消えて元の白い紙になったところに「原作・江戸川乱歩」と文字が残ってドラマが始まるという工夫をした。これは我ながらうまくいきました。これはフィルムに撮ったので、じっくり観ました。元ネタはG・W・パプスト監督の『ドン・キホーテ』でね。僕は不器用なので、アイデアを具体化できたのはアシスタントの力です。

——— 映画的な発想がテレビドラマにいかされていた。

僕はテレビ屋であるにもかかわらず、テレビのことを知らなくて、映画のつもりで考えてしまった。頭でっかちだった。だから、乱歩先生がどこを一番映像で再現してほしかったか、お気持ちが読めなかったと思うんですね。ご覧になった乱歩先生が「うまくいきませんでしたか」とおっしゃってね。ほんとうに申し訳なくて。だから、僕は「江戸川乱歩をがっかりさせた男」として歴史に名を残したと思っていました。

——— 乱歩の小説をドラマ化して、気づいたことはありましたか。

あのときによくわかったのが、乱歩先生の本領は本格のトリックですね。それを正面に出して、おもしろく読者を喜ばせるのがメインなんです。だから、ある意味では非常に健全ですよ。でも、戦前に『吸血鬼』以来の猟奇性やエログロで当たってしまった。そうすると編集者もどんどん書かせるし、イメージが定着してしまう。それは不本意だったろうなと思いますね。

読者を飽きさせないあの手この手

——— 辻さんご自身、小説のなかに、さまざまな形で乱歩を潜ませたり、乱歩をモチーフにされてたりしています。作品を書くうえで、乱歩から受けた影響について伺えますか。

漫画やアニメの場合、手塚治虫先生の影響も圧倒的ですが、僕の原点は、完全に江戸川乱歩なんですね。少年探偵団はトリックというよりも、むしろギミックといったほうがいい。読者を騙す。あるいは怪人二十面相がお金持ちを騙す。そういうあの手この手のギミックですよね。

——— たとえば、どのようなところでしょうか。

メイントリックをしゃべるとネタバレになっちゃうけど、もっと細かい「小ネタ」をあちらこちらにまぶす。そうすると、読者が飽きずに読めるんだなと。『少年探偵団』なんかまさにそうですね。後催眠現象から始まって、その男の子が今度は誘拐された女の子を見つける。時々後ろを振り向いて、歩道にチョークで怪しげな模様を書きつける。そういう要素が次から次に出てくる。

——— 「次から次に」という乱歩のスタイルが特徴的だったと。

『少年倶楽部』に1年連載して1冊の本になりますね。大体、原稿用紙で360枚くらい。ひと月分が30枚くらいですから、あの手この手を繰り出さないとあっという間に終わっちゃう。間がもたないし、読者はついてこないんです。非常に勉強になりました。

——— それは、どのジャンルでも共通するものでしょうか。

ドラマ、小説、舞台、劇場アニメ……どんな場合でも、ところどころに小さな山をきちんとつくっておく。そうでないとダメなんです。でも、僕が齢をとって、のんびりしちゃったせいかもしれませんが、ミステリーを書きますとね、Twitterでよく言われるんですよ。「50枚読んでも100枚読んでもまだ誰も殺されない」って。合唱が聞こえる(笑)。最近の人たちは気が短くなったの? と思うんですが、いましゃべっていて、「あ、何だ。乱歩先生の頃もそうだったんだ」と改めて気づきましたね。

——— 乱歩の時代も現代も、スピードとテンポが勝負。

乱歩先生は、あの時代にも息つく暇のないくらい、次から次に投げこむ手法を使ってらしたから、読む側も引っ張られた。それなら今はもっとやらなきゃいけない。僕は大正時代の話を書いている最中なんですが、原稿用紙3枚から5枚の間に何かないとダメだろうと思ってやっています。きついですね。何遍書き直してもうまくいかない。大正時代の雰囲気も出そうとすると、なかなか殺せません(笑)。3遍か4遍くらい出だしを書き直して、なんとか5枚くらいまで書いたら、少し怪しげな感じは出せるようになりました。果たしてそれが最後までもつかわかりませんけどね。

子どもをバカにしないという姿勢

——— 仕事の量、質ともに最前線を走り続けておられることに圧倒されます。

最近は、とにかく『少年探偵団』の読者だった頃の自分に戻ってやろうと思ってます。昔読んだものも勉強になりますし、怪人二十面相ものを書いたのも修行になりましたね。

——— 乱歩の『怪人二十面相』の空白を想像で補った2作を書かれて、改めて乱歩の作品について思われることはございますか。

子どもをバカにしていないな、ということ。僕も子ども向けのものをずいぶん書いてきただけに、なおさら思う。絶対に子どもをバカにしちゃダメですよ。子どもは未完成の大人ではない。常にその時々で完成した子どもなんです。それが次から次へと変わっていく、脱皮していくからね。

——— 子どもも大人もわかるように、楽しめるように書くことは難しくありませんか。

難しいですよ。一生懸命になって汗水垂らして、子どもにわかるようなものをつくりたい。ずいぶん昔に『小学三年生』と『小学四年生』で連載漫画の原作を4年くらい続けたんです。そのとき、編集者に「小学3年生は一学期と二学期のあいだで育っているから、同じ子ども相手だと思われては困る。そのつもりで作風を変えてほしい」と言われたんです。それでいろいろ考えたせいか、藤子不二雄さんが褒めてくれました。しかし絶対に『ドラえもん』には勝てなかった。悔しかったねえ(笑)。二番手まではつけるんですが、どれも抜けませんでした。でも編集者の本気はすごい。仕事に対する姿勢というか。僕が今でも『名探偵コナン』を書けていることにもつながっている気がします。

『少年明智小五郎』という夢

『ぼくらの愛した二十面相』台本(立教大学大衆文化研究センター蔵)

——— 1997年に、日本推理作家協会設立50周年を記念した文士劇で『ぼくらの愛した二十面相』(読売ホール)の脚本を書かれています。乱歩へのオマージュに満ちていて、乱歩のさまざまな作品や、出演する作家さんたちの作品を見事に散りばめた職人技でした。

『怪人二十面相』ならみんなついてくるだろうということに尽きますね。これ以外ないですよ。ハードボイルドでもクライムサスペンスでも、大本は乱歩先生から派生しているので、結果として乱歩先生なら誰でもわかるんです。それは大きいですね。

——— 辻さんが書かれているのは、いわゆる本格もので、まさにトリックとギミックの作品ですが、Twitterを拝見していると、非常に幅広いジャンルに目配りされていて、アンテナの張り巡らせ方が尋常でないと思うんです。

読者としては何でも屋だったんですが、これからの時間を考えると、どんどん先細りにしています。SFも読みたいんだけど、SFと本格ミステリーが並んでたら、やっぱり本格ミステリーを先に読むだろうなと。自分で土俵を狭めていって、最後に「これだけだ」ってところに片足で立つくらいの覚悟もしてるんです。これまでは「おもしろければ何でもありです」と言っていたけれど、今は難しいので、自分の好みのほうに絞りつつある。残念だなと思うんですけどね。

——— そうしたこともふまえて、今後の創作についてはどのようにお考えですか。

じつは『少年明智小五郎』という小説を書いてるんです。少年時代の夢を、僕なりに手探りしながら原稿用紙に向かってるので、今日、乱歩先生の土蔵の中をひさしぶりに拝見して、いろいろな記憶がよみがえった。感じるところが多々ありました。この先、3年後までスケジュールが埋まっているんですね。まだまだ書きたいものはたくさんあるので、毎日が修行だと思って続けていくだけだと思っています。

プロフィール

PROFILE

辻 真先(つじ・まさき)

作家・脚本家。1932年、名古屋生まれ。名古屋大学卒業後、1954年にNHK入局。『バス通り裏』などの演出に従事。1962年にフリーとなり、『エイトマン』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『デビルマン』『サザエさん』等のアニメや特撮の脚本家として幅広く活躍。1972年に『仮題・中学殺人事件』でミステリ作家としてデビュー。現在でもTVアニメ『名探偵コナン』の脚本を手がけている。1982年に『アリスの国の殺人』が第35回日本推理作家協会賞、2009年に牧薩次名義で刊行した『完全恋愛』が第9回本格ミステリ大賞、2019年に第23回日本ミステリー文学大賞を受賞。2020年刊行の『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』は、年末ミステリランキング3冠を達成。近作に『焼跡の二十面相』『二十面相 暁に死す』ほか多数。

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