立教テニスコート変遷記1
池袋移転時から戦後まで
写真で見る立教いま・むかし
2019/12/23
トピックス
OVERVIEW
立教大学のテニスコートは大きく3期に分かれて変遷します。第1期は築地から池袋への移転時からアジア・太平洋戦争の敗戦後まで。第2期は1950年代から1990年代まで。第3期は1990年代以降です。
【図版1】「仮庭球場」との記載がみられる構内図(「立教大学配置図」1918年[推定])
その後、1919年に現在タッカーホールがある敷地にコートを設置していきます(A)。関東大震災後、1925年に現在のポール・ラッシュ・アスレティックセンターがあるグラウンドの一隅にコートを移転し(B)、戦後には再び(A)の場所にコートを作り、1946年夏に現在の小学校校舎の場所にコートを移転しました。その後、1946年に小学校建設のため現在の4号館南側にコートを再移転します(C)。【図版2】
【図版2】1950年頃の立教の配置図 (伊藤俊太郎『立教中学校100年史』1998年)
ポール・ラッシュ・アスレティッ クセンターの屋上コート(5階)。 テニスやフットサルなどに利用 できる[2013年4月]
※本記事は季刊「立教」250号(2019年11月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
※参考文献『立教大学体育会OBクラブ体育会会員名簿』1950年所収の「小史」
※[立教学院史資料センター]
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