連携講座「池袋学」|セゾン美術館の日常-前衛の拠点として

「池袋学」運営事務局

2015/09/30

トピックス

OVERVIEW

東京芸術劇場×立教大学 連携講座「池袋学」<春季>

日時 2015年7月4日(土) 14:00~16:00
会場 東京芸術劇場 B2F リハーサルルームL
講演者 新見 隆 氏(武蔵野美術大学芸術文化学科教授、大分県立美術館館長)
 

講演会レポート

2015年度「池袋学」の春季講座は「池袋モンパルナス」「トキワ荘」「セゾン文化」という昨年同様のテーマを扱いながら、それぞれ昨年とは異なる角度から考察するという趣向が仕組まれています。春季の最後を締めくくる今回のお題は、セゾン文化。昨年は、西武百貨店内につくられた「スタジオ200」(1979~91)と、地域発信の国際演劇祭である「東京国際演劇祭 ‘88 池袋」を軸に池袋の舞台芸術シーンを総括しましたが、今回は1982年から99年まで西武美術館(のちにセゾン美術館)の学芸員を務められた新見隆氏を講師にお招きし、「美術」という視点から、セゾン文化の魅力と意義に迫ります。
1975年、西武美術館は、西武百貨店池袋店12階に開館しました。オープニングを飾った「日本現代美術の展望」と題された展覧会のカタログに、堤清二が「時代精神の根據(きょ)地として」という文章を寄稿しています。そこには、こんなことが書かれています。
1975年という年に東京に作られるのは、作品収納の施設としての美術館ではなく植民地の収奪によって蓄積された富を、作品におきかえて展示する場所でもないはずです。それはまず第一に、時代の精神の據点として機能するものであることが望ましいとすれば美術館はどのような内容を持って、どんな方向に作用する根據地であったらいいのか。

(中略)

この美術館が街のただ中に建っているということは、空間的な意味ばかりでなく人びとの生活のなかに存在することに通じているべきだと思います。ここで例外的に私達が一つの主張を述べるのは、美術を重要なジャンルとする芸術文化の在り方が、生活と、ことに大衆の生活と奇妙な断絶の関係を持っているという認識に立っているからです。

(中略)

だからこの美術館の運営は、いわゆる美術愛好家の手によってではなく時代の中に生きる感性の所有者、いってみればその意味での人間愛好家の手によって、動かされることになると思われます。

美術館であって美術館でない存在、それを私達は“街の美術館”と呼んだり“時代精神の運動の根據地”と主張したり、また“創造的美意識の収納庫”等々と呼んだりしているのです。

いささか長い引用になりましたが、こうしたマニフェストのもとに、西武美術館は、モダンアート以降の〈20世紀芸術シリーズ〉と、故宮博物院や古代エジプトといった〈人類の遺産シリーズ〉を開催していきました。展覧会の企画だけではありません。美術館に隣接する美術専門書店「アール・ヴィヴァン」(1995年閉店)には、世界中の美術館で開催される展覧会の図録が揃っており、当時ふつうは書店で買えなかった展示図録を世界規模で流通させたこともまた、西武美術館の革新性を担うものでした。
新見氏は、西武美術館誕生の前史としての百貨店催事について言及します。それまでの日本の百貨店では開かれなかった規模・内容の美術展が、西武百貨店で開催されていました。それは、堤清二の現代美術に対する眼の確かさを如実に示すものだったといえます。

当時、地方に県立・市立の博物館・美術館が設立され始めており、多くの美術館が、ヨーロッパのような分類型、カオスをコスモスにする整理型のスタイルをとっていました。芸術は人間の生活から遊離した、雑多性を排除して純粋化していくものと見なされていました。

その中で、人の流れの渦巻く巨大ターミナルであり、郊外への拡張拠点である池袋に美術館をつくるという発想が、西武美術館の特質であったと、新見氏は指摘します。また器が「百貨店」という雑多なものであることによって、人間の生活全体を含みこむ、単純に整理できないものの集積が、美術館の展示として表現されるという重要性に着目されました。故宮博物院、曼荼羅、文学者、古代エジプト、現代美術、デザイン、建築……あらゆるものを横に並べていく。つまり、カオスの中にコスモスを投げ込む試みが、西武美術館によって始められたのです。
卒業論文をマルセル・デュシャンをテーマに書いたという新見氏が、西武美術館に入ったのが1982年。生活の中で芸術・美術を見ることが、西武美術館・セゾン美術館のエッセンスだと考えた新見氏は、工芸——〈用〉の美、デザイン、建築などを扱うことにし、グラフィックデザイナーの田中一光をテーマにした「デザインのクロスロード」(1987)、ソ連の前衛芸術を集めた「芸術と革命Ⅱ展」(1987)、ご自身、学芸員として本格的デビューを果たしたという「日本の眼と空間」(1990)では、柳宗悦とその周辺に関する展示を企画し、これが日本のミュゼオロジー(博物館学・美術館学)を考え直そうとした出発点になったと述べられました。

新見氏が、堤清二から教わった大事なこととして挙げられたのが、自分で直接交渉し、コンセプトを考え、時代に対して〈今なぜこれなのか〉を明確に説明できること。これこそが堤清二のいう「時代精神」であり、その拠点としての西武美術館・セゾン美術館の魅力、意義だったのです。

そうした〈セゾン・スピリット〉を受け継ぐ新見氏は、いま、大分県で新しい美術館の創造に立ち会っています。今年4月にオープンした大分県立美術館(OPAM)の「開館記念展 vol.1 モダン百花繚乱『大分世界美術館』」では、長谷川等伯の横にターナーが並び、同じ部屋に存在するという、時代や地域、ジャンルをこえた、一度きりの「Global meets Local」が実現されています。新見氏の「セゾンの精神は大分に生きている」という言葉は、けっして大げさではありません。

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