「池袋学」開講記念シンポジウム|「池袋学」への招待 ~ひと、アート、環境から池袋を考える~
社会学部現代文化学科3年次 保坂 虹太郎 さん
2014/02/20
トピックス
OVERVIEW
立教大学、東京芸術劇場主催 「池袋学」開講記念シンポジウム
日時 | 2014年1月18日(土)13:30~15:30 |
会場 | 東京芸術劇場5Fギャラリー2(豊島区西池袋1-8-1) |
講演者 | 吉岡 知哉(本学総長) 高野 之夫 氏(豊島区長) 高萩 宏 氏(東京芸術劇場副館長) 後藤 隆基(ESD研究所/阿部治ESD研究所所長代行) 上野 貞行 氏(JR池袋駅駅長) 北川フラム 氏(アートディレクター) 渡辺 憲司(本学名誉教授、立教新座中学校・高等学校校長、「池袋学」座長) |
レポート
池袋学。一見すると、なにか学問的な難しさを感じてしまうかもしれません。しかしこの「池袋学」が目指しているのは、池袋に住む人、暮らす人、池袋で働く人、学ぶ人、池袋に訪れる人、あらゆる人が参加できる、開かれた“まちづくり”の姿です。そして、池袋の歴史・文化・暮らし・町並みなどさまざまな視点から池袋を語り、オリジナルな池袋文化を発信していきます。今回のシンポジウムでは、ターミナル池袋駅の誕生から、今後の池袋の文化的な可能性に至るまでさまざまな視点を共有し、2014年度より東京芸術劇場と立教大学が連携して開講される「池袋学」に道筋を示しました。
冒頭ではまず、豊島区長の高野之夫氏、東京芸術劇場副館長の高萩宏氏、そして立教大学より吉岡知哉総長、ESD研究所の後藤隆基氏が、それぞれの立場から池袋との関わりについて意見を交換し、「池袋学」開講にあたっての指針を確認しました。高野区長は、池袋を新宿・渋谷に勝る文化の街として発展させていくため、立教大学や東京芸術劇場をはじめ地域との協同をより強化していく姿勢を示しました。吉岡総長は、立教大学が池袋に校舎移転をした当時から、地域とともに大学の歴史を重ねてきたと述べられ、今後も地域連携を強めていきたいと話されました。
高萩副館長と後藤氏は、こうして互いが関わり意識を持っているところに、文化が息づく池袋の姿、持続可能なまちづくりの可能性をみています。そして、それぞれが持つ池袋との関わりに加え、まちに混在するあらゆる人・ものを、まちづくりに反映させていくことこそが「池袋学」の醍醐味であると、確認されました。
JR池袋駅駅長の上野貞行氏は、鉄道開通の歴史から、池袋という街がいかにして形作られてきたのかをひもときました。池袋に鉄道が開通した当時、この地域は農村地帯でした。現在の目白駅をターミナル駅とする構想もあったようですが、比較的平坦な農村地帯であった池袋は、地理的条件で鉄道開通に適していたとのことです。現在、東武線と西武線の終点であるとともに、複数のJR線と地下鉄が乗り入れる池袋駅。新宿・渋谷と並んで三大副都心の一つであり、国内トップクラスの乗降客数を誇る巨大ターミナル駅となっています。近年では、埼京線の延伸や副都心線・東横線の相互直通運転開始という新しい動きもありました。鉄道開通の歴史から、池袋という街に多くの人が訪れ、文化的な刺激を与えているとみることもできます。
その上で、池袋のまちづくりに鋭い意見を投げかけたのが、アートディレクターの北川フラム氏です。北川氏は、「池袋は、新宿や渋谷のようになってはならない」と警鐘を鳴らします。昨今の都市再開発が歩む道は、いずれ衰退する姿が目に見える、いわば“一時的な消費の楽しみ”のための空間づくり。高層ビルが立ち並び、東西南北も分からない、歩く楽しみのない街の姿に北川氏は危機感を示しています。こうした中で池袋とは、街が単純化されず小さな文化・伝統の要素が息づいており、良い意味で雑然とした感じがする。また、古くからの伝統が残るとともに、新しい文化が流入する土壌もある。後のパネルディスカッションでは「池袋学」の座長であり、立教新座中学校・高等学校の渡辺憲司校長がこれを“池袋学における対立構造”として説明をされ、文化・伝統に関して守りと新しさが混在する池袋らしさ、というものを感じることができました。それと同時に、「池袋はなんだか面白いことをやっているな」と“よそ者”に思わせるような積極的な情報発信の必要性についても、「池袋学」の使命として位置付け、今回のシンポジウムを締めくくっています。
今回のシンポジウムを通じて、思い出したことや改めて気付いたことがあります。それは、私が立教大学に入学した当初の「あれ?」という感覚。思い描いていた“大都市”東京らしい姿ではなく、良い意味で“田舎臭さ”を池袋という街に感じたことを思い出しました。池袋という街には北川氏が言うところの“歩く楽しみ”があり、あるいはそれに付け加えるとすれば“たたずむ楽しみ”があるのだと思います。池袋駅の改札を出てから、立教大学の正門に至るまで、辺りを見回して歩き、たたずんでみてください。すると、街が雑然としているからこそ思わぬ発見があり、感覚が豊かになることに気付くはずです。持続可能な社会を構築していくためには、人の感覚と街の姿とが寄り添っていることが何よりのエッセンスになるのではないか、と池袋という街と今回のシンポジウムからヒントを得た気がします。
※記事の内容は取材時点のものであり、最新の情報とは異なる場合がありますのでご注意ください。
今回のシンポジウムを通じて、思い出したことや改めて気付いたことがあります。それは、私が立教大学に入学した当初の「あれ?」という感覚。思い描いていた“大都市”東京らしい姿ではなく、良い意味で“田舎臭さ”を池袋という街に感じたことを思い出しました。池袋という街には北川氏が言うところの“歩く楽しみ”があり、あるいはそれに付け加えるとすれば“たたずむ楽しみ”があるのだと思います。池袋駅の改札を出てから、立教大学の正門に至るまで、辺りを見回して歩き、たたずんでみてください。すると、街が雑然としているからこそ思わぬ発見があり、感覚が豊かになることに気付くはずです。持続可能な社会を構築していくためには、人の感覚と街の姿とが寄り添っていることが何よりのエッセンスになるのではないか、と池袋という街と今回のシンポジウムからヒントを得た気がします。
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