寸暇を惜しんで
チャプレンのことば
2020/10/26
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャプレンからのメッセージです。
寸暇を惜しんで
チャプレン 中 川 英 樹
今年創立146年を迎える、立教大学は、およそ2000年前のイスラエルの地に生きた、イエスという人の、その生き方を礎とする「イエス主義」の大学です。イエスの生き方とは「他者のために寸暇を惜しむ」という一点に集約されます。哀しみに顔を曇らせ、痛みに身体をよじる人たちの、その哀しみや痛みが通り過ぎて往くまで、イエスは自らの時間を献げ、寸暇を惜しんで寄り添い続けました。教育もどこか似ています。学校(スクール)は、暇(スコレー)というギリシャ語から派生しました。教育の本義は、決して前のめりにならず、現前の学び人たちが素敵に変容して往くために寸暇を惜しむところにあります。
今、COVID‒19(新型コロナウイルス感染症)の脅威が覆い、立ち往生が続く中で、立教の学生や教職員たちが互いに知恵と経験を持ち寄り、他者のためにどれだけ寸暇を惜しめるのか、そこに、イエスの生き方を模倣し主義とする立教の真価は問われます。「他者のために寸暇を惜しむ」ことなど、この効率主義が先鋭化した社会では無意味に映るかもしれません。しかし、それこそが立教大学の教育の礎なのです。だからこそ今、他者への寸暇を惜しみ、けれど慌てず、顔を上げて、前を向いて、強く歩んで往くことのできる、わたしたち「立教」で在りたいと願います。
今、COVID‒19(新型コロナウイルス感染症)の脅威が覆い、立ち往生が続く中で、立教の学生や教職員たちが互いに知恵と経験を持ち寄り、他者のためにどれだけ寸暇を惜しめるのか、そこに、イエスの生き方を模倣し主義とする立教の真価は問われます。「他者のために寸暇を惜しむ」ことなど、この効率主義が先鋭化した社会では無意味に映るかもしれません。しかし、それこそが立教大学の教育の礎なのです。だからこそ今、他者への寸暇を惜しみ、けれど慌てず、顔を上げて、前を向いて、強く歩んで往くことのできる、わたしたち「立教」で在りたいと願います。
※本記事は季刊「立教」252・253合併号(2020年7月発行)をもとに再構成したものです。定期購読のお申し込みはこちら
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