立教小学校のラデツキー・オルガン
チャペルの豆知識
2018/11/06
キリスト教とチャペル
OVERVIEW
チャペルにまつわる豆知識をご紹介します。
小学校のオルガン
立教小学校の諸天使礼拝堂には2台のオルガンがあります。1台は卒業生の堀氏がドイツのパーシェン社で製作されたもの、もう1台はウィーンのオルガンビルダー、ラデツキー氏が製作されたオルガンです。今回は後者について報告します。
『日本のオルガン1』(83頁)によりますと立教小学校に設置されたのは1969年の5月です。音楽の波多野春子先生が晴海の市に出品されていたこのオルガンに一目ぼれし、チャペルにふさわしいと購入を決めたそうです。それ以来、約6000人の児童が毎週このウィーンの音によって聖歌を歌ってきました。しかし、鍵盤の横に[Hradetzky]とあるだけで、オルガンに関する情報はほとんどありませんでした。
『日本のオルガン1』(83頁)によりますと立教小学校に設置されたのは1969年の5月です。音楽の波多野春子先生が晴海の市に出品されていたこのオルガンに一目ぼれし、チャペルにふさわしいと購入を決めたそうです。それ以来、約6000人の児童が毎週このウィーンの音によって聖歌を歌ってきました。しかし、鍵盤の横に[Hradetzky]とあるだけで、オルガンに関する情報はほとんどありませんでした。
小学校のオルガンが製作されたKrems an der Donau、Oberbergern(オーストリア)のご自宅兼工房
ところが2005年の冬、たまたまドイツのレーゲンスブルグの教会音楽学校にて、ラデツキー製の家庭用オルガンの中古販売の掲示を見ました。それは、オーストリアのウィーン音楽大学の図書館に勤務する女性からの情報でした。私はすぐに連絡をとり、ウィーンのお宅に伺って、その小さなオルガンを拝見しつつラデツキー氏をご紹介いただきました。
後日、私は小学校のオルガンの写真を用意して、ラデツキー氏とオーストリアのザルツブルグでお会いしました。個性的な風貌ですが、話し方は上品で、気配りを忘れない方という印象を持ちました。カフェに入って写真をお見せしますとその驚きは大変なものでした。これは、若い時、お父さんと一緒に製作されたもので、ウィーン市内で販売され、日本人が購入したものの、その後どこへ行ったかわからなくなっていたそうです。「息子に40年ぶりに再会したようだ」と言っていました。
後日、私は小学校のオルガンの写真を用意して、ラデツキー氏とオーストリアのザルツブルグでお会いしました。個性的な風貌ですが、話し方は上品で、気配りを忘れない方という印象を持ちました。カフェに入って写真をお見せしますとその驚きは大変なものでした。これは、若い時、お父さんと一緒に製作されたもので、ウィーン市内で販売され、日本人が購入したものの、その後どこへ行ったかわからなくなっていたそうです。「息子に40年ぶりに再会したようだ」と言っていました。
ラデツキー氏
その後、ザルツブルグとウィーンの個人宅の小さなオルガンから大教会のオルガンまで案内していただきました。印象深かったことは、自分の理念の楽器を作る人と建物の響きに合わせて作る人の二種類のオルガン製作者がいる、という言葉でした。氏の理念は、後者で、建造物の響きに合せてパイプ成分の配合を変えるそうです。数台のオルガンを試奏させていただき、その言葉通り、同じ種類のパイプの組み合わせでも、方向性は同じでも、楽器ごとに微妙にその生み出す音響の色が異なる、という経験をしました。しかし、驚いたことは、ウィーン郊外のご自宅には畳の部屋があり、漢字で「風」と書かれた書が飾られ、彼にとってのオルガンの風は、「禅」の精神に通底する「風と時」であることでした。ウィーンの音と思っていたオルガンの響きは、意外にも日本的な精神に支えられたパイプの風の音だったということになります。氏の名前は、Gerhard Hradetzky、1944年生まれ、お父さんの名前は、Gregor Hradetzkyと言います。小学校のオルガンは正式には「G&Gラデツキーオルガン」となります。
立教小学校教諭 長畑 俊道
以上の文章は『チャペルニュース』第599号2018年2・3月号/連載「チャペルのタカラモノご紹介します!」よりをまとめたものです。
立教小学校教諭 長畑 俊道
以上の文章は『チャペルニュース』第599号2018年2・3月号/連載「チャペルのタカラモノご紹介します!」よりをまとめたものです。
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